稲背脛 名前 稻背脛【日本書紀】(いなせはぎ)稲背脛 稻背脚【先代旧事本紀】(いなせはぎ)稲背脚 出来事 高皇産霊尊に葦原中国の統治を譲るよう催促された大己貴神が、子の事代主神の意見を聞く使者として、熊野諸手船(くまののもろたふね)、またの名は天鴿船(あめのはとぶね)に乗せられて派遣される。 【日本書紀 巻第二 神代下第九段】