名前
  • 天稚彥【日本書紀,先代旧事本紀】(あわか, あわか, あまわか)天稚彦
  • 天若日子【古事記】(あわか, あわか, あまわか
  • 天雅彥校異【先代旧事本紀】天雅彦
  • 天国玉あまつくにたま【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
先祖
  1. 天国玉
配偶者
  • 下照姫したてるひめ【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
出来事
  • 高皇産霊尊は八十諸神を召し集めて、「私は葦原中国(あしはらのなかつくに)の邪鬼を払い平らげたいと思う。誰を遣わすのがよいだろうか。諸神は知っていることを隠してはならぬぞ」と尋ねた。皆は「天穂日命は神の中で傑出しております。お試しになるのがよいかと存じます」と言った。
    そこで皆の言葉に順って、天穂日命を送って平定させた。しかしこの神は、大己貴神におもねり媚びて、三年間復命しなかった。
    それでその子の大背飯三熊之大人、またの名は武三熊之大人を遣わしたが、これもまたその父に順って復命しなかった。
    それで高皇産霊尊はまた諸神を集めて誰を遣わすかを尋ねた。皆は「天国玉の子の天稚彦は壮士で御座います。お試しになるのがよいかと存じます」と言った。
    そこで高皇産霊尊は天稚彦に天鹿児弓(あめのかごゆみ)天羽羽矢(あめのははや)を賜って遣わした。この神もまた忠誠ではなかった。
    到着すると、顕国玉の娘の下照姫(またの名は高姫。またの名は稚国玉)を娶り、留り住んで「私もまた葦原中国を治めたいと思う」と言った。遂に復命しなかった。
    この時高皇産霊尊は久しく復命しないことを怪しんで、名も無い雉を遣わして探らせた。その雉は飛び降りて、天稚彦の門前に立つ湯津杜木(ゆつかつら)の梢に止まった。天探女はこれを見て、天稚彦に「不思議な鳥が杜の梢に降りました」と言った。天稚彦は高皇産霊尊から賜った天鹿児弓・天羽羽矢を取って、雉を射殺した。その矢は雉の胸を貫いて、高皇産霊尊の御前に届いた。高皇産霊尊はその矢を見て、「この矢は、昔私が天稚彦に賜った矢である。血が矢に付いている。おそらく国神と戦ったのだろう」と言った。そこで矢を取って投げ返して下した。その矢は落ち下って、天稚彦の胸に当たった。この時天稚彦は、新嘗をして休んで寝ていた時で、矢が当たって死んでしまった。これを世の人が、反矢可畏(かえしやいむべし)原文ママ。というもとである。
    天稚彦の妻の下照姫は泣き悲み、声は天にまで達した。この時天国玉はその泣き声を聞いて、天稚彦が死んだことを知った。それで疾風(はやち)を使い、屍を上げて天に戻した。そして喪屋を造って(もがり)をした。
    川鴈(かわかり)持傾頭者(きさりもち)日本書紀私記曰く、葬送時に死者の食を持つ者。及び持帚者(ははきもち)葬送後に喪屋を掃くための箒を持つ者。とした(あるいは(かけ)ニワトリの古名。を持傾頭者とし、川鴈を持帚者としたという)。また雀を舂女(つきめ)お備えの米をつくという意味か。(あるいは川鴈を持傾頭者とし、また持帚者とし、(そび)尸者(ものまさ)神霊の代わりに立って祭りを受ける者。とし、雀を舂者とし、鷦鷯(さざき)ミソサザイの古名。哭者(なきめ)葬送時に泣く役。(とび)造綿(わたつくり)綿を水に浸して死者を沐浴させる者。とし、烏を宍人者(ししひと)死人に食を具える者。としたという。すべて諸々の鳥に事を任せた)とした。そして八日八夜、泣き悲しんで偲んだ。

    これより先、天稚彦が葦原中国にいる時、味耜高彦根神と仲がよかった。そこで味耜高彦根神は天に昇って喪を弔った。この神の容貌は、生前の天稚彦に実に似ていた。
    それで天稚彦の親族妻子は皆「我が君は死なずにおられたのだ」と言って、衣の帯によじかかって喜び、また泣き叫んだ。味耜高彦根神は怒りを露にして「朋友の道理として弔うのだから、穢れを憚らずに、遠くから参って哀しむのだ。なぜ私を死者と間違うのか」と言うと、その帯びている大葉刈(おおはがり)(またの名は神戸剣(かむどのつるぎ))を抜いて、喪屋を斬り伏せた。これが落ちて山となった。今、美濃国の藍見川(あいみがわ)のそばにある喪山がこれである。世の人が死人に間違われることを嫌うのは、これがそのもとである。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
    • 天照大神は天稚彦に勅して「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)は、我が子が王たる地に相応しい。しかし強暴な悪い神がいる。だからお前が先に赴いて平らげよ」と。そして天鹿児弓(あめのかごゆみ)天真鹿児矢(あめのかごや)を賜って遣わした。天稚彦は勅を受けて降り、国神(くにつかみ)の娘を多く娶って、八年経っても復命しなかった。
      それで天照大神思兼神を呼んで、その復命しない状況を問うた。思兼神は思考して、「雉を遣わして問うのが宜しいでしょう」と言った。そこでこの神の考えに従って、雉を遣わして見に行かせた。
      その雉は飛び下って、天稚彦の門前の湯津杜(ゆつかつら)の樹の梢に止まり、「天稚彦よ。なぜ八年間、復命しないのだ」と鳴いた。
      時に国神がいて、名を天探女という。その雉を見て言うには、「鳴声の悪い鳥が、この樹の梢にいます。射殺してしまいましょう」と。天稚彦は天神から賜った天鹿児弓と天真鹿児矢を取り、そして射た。矢は雉の胸を貫き、天神の所に達した。天神はその矢を見て、「これは昔、私が天稚彦に賜った矢である。今になってなぜやって来た」と言った。そして矢を取り、呪って言うには、「もし悪い心を以って射たならば、必ず天稚彦に当たって害にあうだろう。もし清い心を以って射たならば、何事も無いだろう」と。そして投げ返した。するとその矢は落下して、寝ている天稚彦の胸に当たった。そしてたちどころに死んだ。これは世の人が「返し矢恐るべしちなみに原文は「返矢可畏」である。」というもとである。
      この時天稚彦の妻子が天降って、(ひつぎ)を持っていき、天に喪屋を作り、殯をして泣いた。

      これより先、天稚彦と味耜高彦根神は仲が良かった。それで味耜高彦根神は天に登り、喪を弔って大いに泣いた。時にこの神の姿形は、天稚彦にとてもよく似ていた。それで天稚彦の妻子らはこれを見て喜び、「我が君は死なずにおられたのだ」と言うと、衣の帯によじかかったので、押し離すことも出来なかった。味耜高彦根神は怒って、「朋友が亡くなったというので、私は弔いにきたのだ。なぜ私を死人に間違うのだ」と言うと、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、喪屋を斬り倒した。その喪屋は落ちて山となった。美濃国の喪山がこれである。世の人が死者に間違われることを嫌うのは、これがそのもとである。
      時に味耜高彦根神は装いが美しくて、二つの丘・二つの谷の間を照らすほどだった。それで喪に集まる者が歌を詠んだ(あるいは味耜高彦根神の妹の下照媛が、集まる人に丘・谷を照らすのは味耜高彦根神ということを知らせるために歌を詠んだともいう)。

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      また歌を詠んだ。

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      この両首は今、夷曲(ひなぶり)と名付けている。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
    • 高皇産霊尊は勅して「昔天稚彦を葦原中国に遣わしたが、今に至るまで久しく参らぬわけは、国神に抵抗する者がいるからであろう」と。そして名無しの雄雉を遣わした。この雉が飛び降りて、粟田・豆田を見ると、留まって帰らなかった。これが世のいわゆる「雉頓使(きじのひたつかい)」のもとである。それでまた名無しの雌雉を遣わした。この鳥が飛び降りると、天稚彦が射た矢に当り、上って報告した。云々。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第六】
    • 高御産巣日神天照大御神は、また諸神に「葦原中国に遣わした天菩比神は久しく復命しない。また何れの神を遣わせば良いだろうか」と尋ねた。そこで思金神は「天津国玉神の子の天若日子を遣わすのが良いでしょう」と答えた。それで天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)天之波波矢(あめのははや)を天若日子に賜って遣わした。
      天若日子はその国に降り立つと、すぐに大国主神の娘の下照比売を娶り、またその国を我が物とするために思慮して、八年復命しなかった。
      それで天照大御神高御産巣日神は、また諸神に「天若日子は久しく復命しない。また何れの神を遣わして、天若日子が久しく留まっている理由を問えば良いか」と尋ねた。諸神と思金神は「(きぎし)の、名は鳴女(なきめ)を遣わすのが良いでしょう」と答えた。
      詔して、「お前が天若日子に『お前を葦原中国に遣わしたのは、その国の荒振る神たちを服従させるためである。なぜ八年も復命しないのか』と問い質せ」と。

      それで鳴女は天降って、天若日子の家の門の湯津楓(ゆつかつら)の上に止まり、詳しく天神の言葉を伝えた。天佐具売はこの鳥の言葉を聞いて、天若日子に「この鳥の鳴き声は、とても不吉です。だから射殺してしまいなさい」と言った。天若日子は、すぐに天神から賜った天之波士弓と天之加久矢を持って、その雉を射殺した。しかしその矢は雉の胸を貫いて、逆さまに射上げられて、天安河の河原にいる天照大御神高木神の所に達した。高木神とは高御産巣日神の別名である。それで高木神はその矢を取って見ると、その矢羽に血がついていた。そこで高木神は「この矢は天若日子に賜った矢である」と言って、諸神に示すと、「もし天若日子が命を誤らずに、悪い神を射た矢であれば、天若日子には当たるな。もし邪心が天若日子にあれば、この矢で死ね」と言って、その矢を取り、その矢の開けた穴から下に突き返すと、寝ていた天若日子の胸に当たって死んだ。これが還矢(かえしや)のもとである。またその雉が帰ることはなかった。今の諺で、「(きぎし)頓使(ひたづかい)」というのはこれである。

      それで天若日子の妻の下照比売の泣き声は響いて、風と共に天に至った。天にいる天若日子の父の天津国玉神は、その妻子の声を聞き、天降って泣き悲しんだ。そしてそこに喪屋を建てた。河雁をきさり持食物を運ぶ係。とし、鷺を掃持(ははきもち)掃除係。とし、翠鳥(そにどり)カワセミの古名。御食人(みけびと)死者に供える食物を調理する係。とし、雀を碓女(うすめ)米つき女。とし、雉を哭女(なきめ)泣き女。とした。このように定めて、八日八夜の間、歌舞をした。
      このとき、阿遅志貴高日子根神がやって来て、天若日子を弔うとき、天降った天若日子の父、またその妻が皆泣いて、「我が子は死なずに生きていたのだ。我が夫は死なずに生きておられたのだ」と言って、手足を取って泣き悲しんだ。間違えたわけは、この二柱の神の容姿がとてもよく似ていたからである。それでこのように間違えたのである。
      阿遅志貴高日子根神は激怒して、「私は親しい友を弔うためにやって来たのだ。なぜ私を穢れた死人と比べるのだ」と言うと、佩いていた十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばした。これが美濃国(みののくに)藍見河(あいみがわ)の河上にある喪山(もやま)である。その持って切った大刀(たち)の名は大量(おおはかり)という。またの名を神度剣(かむどのつるぎ)という。
      それで阿治志貴高日子根神は怒って飛び去るとき、その同母妹の高比売命に、その名を明らかにしようと思って歌を詠んだ。

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      この歌は夷振(ひなぶり)である。

      【古事記 上巻】
    • 高皇産霊尊は天稚彦に天之鹿児弓(あめのかごゆみ)天之羽羽矢(あめのははや)を賜って遣わした。この神もまた忠誠ではなかった。
      天稚彦はその国に降り、大国玉神の娘の下照姫を娶った。そしてその国を獲て、その国に留まり住んで言うには、「私も国を治めてみたい」と。そして八年に至るまで久しく復命しなかった。
      天照太神高皇産霊尊が諸神達に言うには「昔、天稚彦を葦原中国に遣わしたが、今に至るまで久しく復命しない。この国の神に反抗する者がいるのだろうか。私はまた何れの神を遣わして、天稚彦が留まる理由を問うべきか」と。思兼神と諸神は「無名雉と鳩を遣わすのが良いでしょう」と答えた。それで無名雉と鳩を遣わした。
      この雉と鳩は降って粟田・豆田を見ると、留まって帰らなかった。これを『雉頓使(きぎしのひたつかい)』。または『豆見落居鳩(まめみておちいるはと)』と言うのは、これがそのもとである。
      高皇産霊尊は、また勅して「先に遣わした無名雉と鳩は遂に復命しなかった。また何れの神を遣わそうか」と。
      思兼神と諸神は「雉の名は鳴女を遣わすのが良いでしょう」と言った。また無名雌雉を遣わした。高皇産霊尊は詔して「お前が行って天稚彦が八年復命しない理由を問いなさい」と。
      それで鳴女は天から降って、天稚彦の門の湯津楓樹(ゆつかつらのき)の枝の先に止まって「天稚彦。何故八年も復命しないのか」と鳴いた。
      時に国神の天探女があり、この雌雉の鳴声を聞いて、天稚彦に「鳴声の怪しい鳥がこの樹の上にいます。射殺してしまいましょう」と言った。天稚彦は天神から賜った弓矢を持って、その雉を射た。矢は雌雉の胸を通り、逆さに射上って、天安河の河原に居た天照太神高皇産霊尊の御前に届いた。
      高皇産霊尊はその矢を取って見てみると、矢の羽に血が着いていた。それで「この矢は昔、私が天稚彦に賜った矢である。今なぜか血を着けてやって来た。もしや国神と戦っているのか」と言った。
      そこで諸神達に示して「もし悪い心で射たのであれば、天稚彦に必ず当って損なうであろう。もし良い心で射たのであれば、天稚彦には当たらないであろう」と言った。そしてその矢を取って穴から下に返した。その矢は落下して天稚彦の胸に当たり、天稚彦は死んだ。世の人が返し矢を畏れるのは、これがそのもとである。

      時に天稚彦の妻の下照姫の泣き声が、風に響いて天に届いた。
      天に居た天稚彦の父の天津国玉神と妻子は、その泣き声を聞いて天稚彦が亡くなったことを知った。そして疾風を使って遺体を天に上げた。そして喪屋を造って河雁(かわかり)持傾頭者(きさりもち)とし、以(さぎ)持掃者(ははきもち)とし、翠鳥(そに)御食人(みけびと)とし、(すずめ)碓舂女(つきめ)とし、(きぎし)哭女(なきめ)とし、(かけ)尸者(ものまさ)とし、鷦鷯(さざき)哭者(なきめ)とし、(とび)造綿者(わたつくり)とし、(からす)完人(ししひと)とし、凡ての鳥を集めて事を任せた。そして八日八夜泣き、悲しむ歌は極まった。
      これより先、天稚彦は葦原中国にいた時、味耜高彦根神と親友だった。それで味耜高彦根神は天に昇って喪を弔った。
      この時、天稚彦の父と妻が皆泣いて「我が子は死なずにいた。我が君は死なずにおられた」と言って、手足にすがって泣いて悲しんだ。それは誤りだった。
      高彦根の容姿は、生前の天稚彦の姿の様であった。それで天稚彦の親族と妻子は皆が「我が君がおられた」と言ったのだ。
      衣の帯を掴み、または喜び、または泣いた。
      時に高彦根は顔色を変え、大いに怒り、「朋友を弔うのが道理。我が愛する友のために、穢れを憚らずに遠くから参ったのだ。どうして死人と私を間違えるのか」と言って、帯びていた十握剣(とつかのつるぎ)、名は大葉刈(おおはかり)を抜いて、喪屋を切り倒した。その屋根は堕ちて山となった。これが今の美濃国の藍見河之上(あいみのかわのえ)の喪山である。

      【先代旧事本紀 巻第三 天神本紀】