経津主神
- 名前
- 經津主神【日本書紀】(ふつぬしのかみ)経津主神
- 齋主神【日本書紀】(いわいのぬしのかみ, いはいのぬしのかみ, いわいぬしのかみ, いはいぬしのかみ)斎主神
- 齋之大人【日本書紀】(いわいのうし, いはいのうし)斎之大人
- 香取神【古語拾遺】(かとりのかみ取は記紀で甲乙混同。)香取神
- 布都努志乃命【新撰姓氏録抄】(ふつぬしのみこと)布都努志乃命
- 香取大神【先代旧事本紀】(かとりのおおかみ, かとりのおほかみ)香取大神
- キーワード
- 後裔は河内国
矢作連 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 後裔は河内国
- 父
磐筒男 【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
- 母
磐筒女 【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
- 先祖
- 出来事
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経津主神は磐筒女神の子で、今の
【古語拾遺 神代段】下総国 の香取神がこれである
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高皇産霊尊は経津主神と武甕槌神に命じて、葦原中国を平定させた。
二神は出雲国の
【日本書紀 巻第二 神代下第九段】五十田狭 の小汀 に降り、十握剣 を抜いて、逆さまに地に突き立てて、その剣先にしゃがんで、大己貴神に問うには、「高皇産霊尊は皇孫をお降しになって、この地に君臨させるおつもりである。それで先に我々二神が遣わされて平らげるのである。お前の考えはどうだ。去るのか否か」と。大己貴神は「我が子に聞いて、その後に報告したいと思います」と答えた。
この時その子の事代主神は出かけて、出雲国の三穂 の崎で釣りを楽しんでいた。あるいは、鳥射ちを楽しんでいたともいう。そこで熊野諸手船 、またの名は天鴿船 に稲背脛を乗せて遣わした。そして高皇産霊尊の勅を事代主神に伝えて、返答の言葉を尋ねた。事代主神は使者に「天神が仰せになるのです。父はお去りになるのが宜しいでしょう。私もまた違えることはしません」と言った。そして海中に八重蒼柴籬 を造り、船の側板を渡って去った。使者は還って復命した。それで大己貴神は子の言葉を、二神に報告して「私が頼みとした子は、既に去りました。私もまた去りたいと思います。もし私が戦い防ぐことがあれば、国内の諸神は必ず一緒に戦うでしょう。今私が去れば、あえて従わないという者は誰もいないでしょう」と言った。
そして国を平らげる時に用いた広矛 を二神に渡して言うには、「私はこの矛を使って事を成し遂げました。天孫がもしこの矛をお使いになって国をお治めになれば、必ずや平安となるでしょう。私は今まさに幽界に去りたいと思います」と。言い終わると遂に去っていった。
二神は従わない諸神を誅して復命した。-
天神は経津主神と武甕槌神を遣わして、
【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】葦原中国 を平定させた。
時に二神が言うには、「天に悪い神がいて、名を天津甕星。またの名を天香香背男といいます。どうか先にこの神を誅した後に、葦原中国を平定させてください」と。この時に斎主神を斎之大人といった。この神は今東国 の楫取 の地にいる。
二神は出雲の五十田狭 の小汀 に着いた。そして大己貴神に「お間はこの国を、天神に奉るのか否か」と問うと、「疑います。あなた方二神が私の所へいらっしゃったのではありませんか。許せません」と答えた。そこで経津主神は還り昇って報告した。
この時高皇産霊尊は、また二神を遣わし、大己貴神に勅して「今お前が言うことを聞くと、深く理に適っている。そこで詳しく条件を勅そう。お前が治める現世の事は、私の孫が治めるべきである。お前は神事を治めるのがよいだろう。またお前が住むべき天日隅宮 は、今まさに造るが、千尋の栲縄で、しっかり結ぼう。その宮を造るきまりは、柱は高く太く、板は広く厚くしよう。また田を作って与えよう。またお前が海に通って海ぶために、高橋・浮橋・天鳥船を造ろう。また天安河 に打橋を造ろう。また供しっかりと縫った白楯を造ろう。またお前の祭祀を司るのは天穂日命である」と。そこで大己貴神は「天神のお教えは慇懃で御座います。あえて御下命に従わないことがありましょうか。私が治める現世の事は、皇孫がお治めになるべきです。私は退いて幽事を治めましょう」と言って、岐神を二神に薦めて言うには、「この神が私の代わりとしてお仕え奉ります。私はここから去りましょう」と。そして体に八坂瓊 の瑞をつけて、長く隠れた。
それで経津主神と岐神を先導とし、巡り歩いて平定した。逆らう者がいれば斬り殺した。帰順する者には褒美を与えた。
この時帰順した首長は、大物主神と事代主神である。そして八十万神 を天高市 に集め、率いて天に昇り、誠の心を述べた。
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