生年月日
( ~ 皇極天皇3年1月1日)
没年月日
(皇極天皇4年6月13日 ~ )
先祖
  1. 中臣御食子
    1. 中臣可多能祜
    2. unknown
  2. 智仙娘
    1. 大伴噛
配偶者
子孫
  1. 定恵
  2. 藤原不比等
    1. 藤原武智麻呂
      1. 藤原豊成
      2. 藤原仲麻呂
      3. 藤原乙麻呂
      4. 藤原巨勢麻呂
    2. 藤原房前
      1. 藤原鳥養
      2. 藤原永手
      3. 藤原真楯
      4. 藤原清河
      5. 藤原魚名
      6. 藤原御楯
      7. 藤原楓麻呂
      8. 藤原宇比良古
      9. (藤原房前の娘)
    3. 藤原宇合
      1. 藤原広嗣
      2. 藤原良継
      3. 藤原清成
      4. 藤原綱手
      5. 藤原田麻呂
      6. 藤原百川
      7. 藤原蔵下麻呂
      8. (藤原宇合の娘)
      9. (藤原宇合の娘)
    4. 藤原麻呂
      1. 藤原綱執
      2. 藤原浜成
      3. 藤原百能
      4. 藤原勝人
    5. 藤原宮子
      1. 聖武天皇
    6. 藤原長娥子
      1. 安宿王
      2. 黄文王
      3. 藤原弟貞
      4. 教勝
    7. 光明皇后
      1. 孝謙天皇
      2. 基王
    8. 藤原多比能
      1. 橘奈良麻呂
    9. (藤原不比等の娘)
      1. 大伴弟麻呂
  3. 氷上大刀自
    1. 但馬皇女
  4. 大原大刀自
    1. 新田部親王
      1. 塩焼王
      2. 道祖王
      3. 陽候女王
    2. 藤原麻呂
      1. 藤原綱執
      2. 藤原浜成
      3. 藤原百能
      4. 藤原勝人
  5. 耳面刀自
    1. 壱志姫王
  6. 斗売娘
    1. 中臣東人
出来事
  • 皇極天皇3年1月1日

    神祗伯(かんつかさのかみ)に任命されるが、再三固辞して就任せず、病を称して退いて三島(みしま)に住む。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇三年正月乙亥朔条】
  • 時に軽皇子は脚を患って参朝しなかった。
    中臣鎌子連は以前から軽皇子と親しかった。
    それで宮に詣でて宿侍しようとした。
    軽皇子中臣鎌子連の意気が高く優れて容姿に犯し難いことを深く知り、寵妃阿倍氏を使って別殿を掃き清めさせ、新しい寝床を高く敷いて細々と世話させた。敬重さは特異だった。

    中臣鎌子連は待遇に感激して舎人「舎人を使い走りにしていた」とある。に言うには「特別な恩沢を賜ることは思ってもいなかった。天下の王となるのを阻む者はいない」と。
    舎人はこの話を皇子に報告した。皇子は大変喜んだ。

    中臣鎌子連は人となりが忠正で、匡済の心があった。
    蘇我臣入鹿が君臣・長幼の序を失い、社稷を窺い権力を奪おうとしていることに憤り、次々と王家に接触して功名を立てるべき哲主を探した。
    心を中大兄に付けていたが、近付く機会が無く、その深謀を打ち明けられなかった。

    たまたま中大兄が法興寺の(つき)の木の下で蹴鞠をしていた仲間に加わった。
    革靴が蹴り上げた鞠と一緒に脱げ落ちたので、拾って手の平に置いて跪き恭しく奉った。
    中大兄も対して跪き恭しく受け取った。
    ここから親交を深めて、共に胸の内を語り合って隠す所が無かった。

    後に、他の人が頻繁な接触を疑うことを恐れ、共に書物を持って南淵先生の所で儒教を学んだ。
    往復の路上で肩を並べて密かに図った。一致しない事は無かった。

    中臣鎌子連が言うには「大事を謀るには、助けが有るに越したことはございません。どうか蘇我倉山田麻呂の長女を召して妃とし、婿舅の関係を築きなさいませ。然る後に説得して計画を実行するのです。成功の道にこれより近いものはございません」と。
    中大兄はこれを聞いて大喜びして計画に従った。
    中臣鎌子連は自ら出向いて仲立ちした。

    しかし長女は約束した夜に「族とは身狭臣をいう」とある。に盗まれた。これにより倉山田臣は憂え恐れて為す術が無かった。
    少女は憂える父を怪しんで「何を憂え悔いているのですか」と尋ねた。父はその理由を話した。
    少女が言うには「どうか心配しないで下さい。私を差し上げても遅くはないでしょう」と。
    父は大喜びしてその娘を奉った。真心を尽くして非の打ち所が無かった。
    中臣鎌子連は佐伯連子麻呂葛城稚犬養連網田中大兄に勧めて云々と述べた。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇三年正月乙亥朔条】
  • 皇極天皇4年6月12日

    天皇は大極殿に御座した。古人大兄が侍った。

    中臣鎌子連は蘇我入鹿臣の人となりが疑い深く、昼夜剣を持っていることを知っていたので、俳優(わざひと)に教えて騙し解かせた。
    入鹿臣は笑って剣を解き、中に入って座についた。

    倉山田麻呂臣は進み出て三韓の表文を読み上げた。
    中大兄衛門府(ゆけいのつかさ)に戒めて、一斉に十二の通門を固めて徃来を止めた。
    衛門府を一ヶ所に集めて禄を授けようとした。

    時に中大兄は長槍を持って殿の側に隠れた。
    中臣鎌子連らは弓矢を持って助け守った。

    海犬養連勝麻呂を使い、箱の中に入った二つの剣を佐伯連子麻呂葛城稚犬養連網田に授けて「ぬかりなく忽ちに斬れ」と言った。
    子麻呂らは水で飯を流し込んだが、恐れて吐き出してしまった。中臣鎌子連は責めつつも励ました。
    倉山田麻呂臣は表文を読み終わろうとしても子麻呂らが来ないのを恐れて汗が体から溢れ、声が乱れ、手が震えた。
    鞍作臣が怪しんで「何故震えているのか」と問うと、山田麻呂は「天皇が近くにお出でなので汗が流れてしまいます」と答えた。
    中大兄子麻呂らが入鹿の威に恐れ、怯んで進み出ないのを見て「やあ」と言った。
    そして子麻呂らと共に、不意に剣で入鹿の頭と肩を割った。
    入鹿は驚いて立とうとした。
    子麻呂は剣を振るってその片足を斬った。
    入鹿は御座のほうに転び、叩頭して「嗣位にお出でになるのは天の子です。自分の罪がわかりません。どうか明らかにして下さい」と言った。
    天皇は大いに驚いて中大兄に詔して「いったい何事であるか」と言った。
    中大兄は地に伏して言うには「鞍作は天宗を全て滅ぼして。日位(ひつぎのくらい)を傾けようとしました。どうして天孫を鞍作「蘇我臣入鹿のまたの名が鞍作である」とある。に代えることが出来ましょうか」と。
    天皇は立ち上がって殿の中に入った。

    佐伯連子麻呂稚犬養連網田入鹿臣を斬った。


    この日、雨が降って水が庭に溢れた。
    席障子(むしろしとみ)鞍作の屍を覆った。

    古人大兄は私宅に走り入って、人に「韓人が鞍作臣を殺した「韓(からひと)の政に因り誅したことを言う」とある。。私の心は痛い」と言った。
    そして寝所に入り、門を閉ざして出なかった。
    中大兄は法興寺に入って城として備えた。
    諸皇子・諸王・諸卿大夫・臣・連・伴造・国造、全て皆が従い侍った。
    人を使って鞍作臣の屍を大臣蝦夷に賜った。
    漢直(あやのあたい)らは族党を総べ集め、(よろい)を着て武器を持ち、大臣を助けようと軍陣を設けた。
    中大兄は将軍巨勢徳陀臣を使い、天地開闢より君臣の別が始めからあることを賊党に説いて、進むべき道を知らしめた。

    高向臣国押が漢直らに言うには「我らは君大郎により殺されようとしている。大臣もまた今日明日には殺されることが決まったようなものだ。ならば誰の為に空しい戦いをして処刑されようか」と。
    言い終わると剣を解き、弓を投げ捨てて去っていった。
    賊徒もまた随って散り散りに去った。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇四年六月戊申条】
  • 皇極天皇4年6月13日

    蘇我臣蝦夷らは誅殺される前に天皇記・国記・珍宝を全て焼いた。
    船史恵尺はすぐに取りに走って焼けた国記を中大兄に献上した。

    この日、蘇我臣蝦夷及び鞍作の屍を墓に葬ることを許した。また喪中に泣くことを許した。


    或る人が第一の謡歌(わざうた)を説いて言うには「その歌に『はろはろに ことそきこゆる しまのやぶはら同三年六月是月条にある謡歌の第一。』と言うが、これは宮殿を島大臣の家に接して建てた。中大兄と中臣鎌子連が密かに大義を図って、入鹿を謀殺しようとした兆しである」と。
    第二の謡歌を説いて言うには「その歌に『をちかたの あさののきぎし とよもさず われはねしかど ひとそとよもす同三年六月是月条にある謡歌の第二。』と言うが、これは上宮の王たちの人となりが素直で、かつて罪も無く入鹿に殺された。自ら報復しなくても。天が人を使って誅殺される兆しである」と。
    第三の謡歌を説いて言うには「その歌に『をばやしに われをひきいれて せしひとの おもてもしらず いへもしらずも同三年六月是月条にある謡歌の第三。「われをひきいれて」は同三年六月是月条では「われをひきれて」』と言うが、これは入鹿臣が忽ちに宮中で佐伯連子麻呂稚犬養連網田に斬られる兆しである」と。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇四年六月己酉条】