- 名前
- 新漢人日文【日本書紀】(いまきのあやひとにちもん)新漢人日文
- 新漢人白文【日本書紀】(いまきのあやひとびゃくもん)新漢人白文
- 僧旻【日本書紀】(そうみん)
- 旻師【日本書紀】(みんし)
- 旻法師【日本書紀】(みんほうし, みんほふし)
- 僧旻法師【日本書紀】(そうみんほうし, そうみんほふし)僧旻法師
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 推古天皇16年9月11日)
- 没年月日
- 白雉4年6月
- 称号・栄典
- 出来事
-
推古天皇16年9月11日
隋客裴世清の帰国に学問僧として同行する。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十六年九月辛巳条】 -
舒明天皇4年8月
唐から帰国して対馬に泊る。
【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇四年八月条】 -
舒明天皇9年2月23日
大きな星が東から西に流れた。その時の音が雷に似ていた。
【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇九年二月戊寅条】
時の人は「流星の音だ」と言った。または「地雷 だ」と言った。
僧旻が言うには「流星ではない。これは天狗である。その吠声が雷に似ているだけだ」と言った。 -
舒明天皇11年1月25日
長い星が西北に見えた。
【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇十一年正月己巳条】
旻師は「彗星である。これが見えると凶作になる」と言った。 -
皇極天皇4年6月14日
-
大化元年8月8日
-
大化5年2月
-
白雉元年2月9日
白雉が献上されたことを孝徳天皇に尋ねられ、答えて「これは休祥と言い、珍しい物と言えるでしょう。聞くところによりますと、王者の徳がは四方に行き渡る時に白雉が見える。また王者の祭祀が正しく行われ、宴食・衣服が節度ある時に現れる。また王者が潔白であれば山に白雉が出る。また王者の仁聖により見えると申します。また周の成王の時に、越裳氏が来朝して白雉を献上して言うには『聞くところによりますと、国の老人は、久しく大風・淫雨が無く、江海の波も荒れず三年になります。思うに国の中に聖人がおられるからでしょう。何故参朝しないのだろうかと申しました。それで三つの通訳を重ねてやって参りました』とのことでございます。また晋武帝の咸寧元年に
【日本書紀 巻第二十五 白雉元年二月戊寅条】松滋 でも見えました。これは休祥でございます。天下に罪をお許しになるのが良いでしょう」と。 -
白雉2年3月15日
皇祖母尊が設けた斎会に招かれる。
【日本書紀 巻第二十五 白雉二年三月戊申条】 -
白雉4年5月
天皇は旻法師の房に行幸して病を見舞った。そして恩命を口勅した。
【日本書紀 巻第二十五 白雉四年五月是月条】-
白雉5年7月
五年七月に僧旻法師が阿曇寺で病に臥した。そこで天皇が行幸して見舞った。そしてその手を取って「もし法師が今日亡くなれば、朕は従って明日にでも死のう」と言った。
【日本書紀 巻第二十五 白雉四年五月是月条 或本云】
-
-
白雉4年6月
-