十師

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名前
  • 十師【日本書紀】(じっし, とたりののりのし)
構成
出来事
  • 大化元年8月8日

    使いを大寺に遣わして、僧尼を召し集め詔して「磯城島宮御宇天皇十三年の中頃に、百済の明王が仏法を我が大倭(みかど)に伝え奉った。この時に群臣はみな伝えを求めず、蘇我稲目宿禰独りがその法を信じた。天皇稲目宿禰に詔してその法を崇めさせた。訳語田宮御宇天皇の御世に蘇我馬子宿禰は父の考えを尊んで仏の教えを崇めた。しかし他の臣は信じなかったので、この典は亡びかけた。天皇馬子宿禰に詔してその法を崇めさせた。小墾田宮御宇天皇の御世に馬子宿禰は天皇に奉る為に丈六の繍像(ぬいもののみかた)・丈六の銅像(あかがねのみかた)を造った。仏教を顕揚して僧尼を恭敬した。朕もまた正教を崇めて大きな道を照らし開こうと思う。そこで沙門(のりのし)狛大法師福亮恵雲常安霊雲恵至・寺主僧旻道登恵隣恵妙を十師とする。別に恵妙法師を百済寺の寺主とする。この十師たちは多くの僧たちを教え導いて、釈教を行うこと必ず法の如くせよ。天皇から伴造に至るまでが造った寺が、もし営むことが難しければ朕が全て助けよう。いま寺司と寺主を任命する。諸々の寺を巡行して僧尼・奴婢・田畝の実状を調べ、全て明かにして奏上せよ」と。
    そして来目臣「闕名」とある。三輪色夫君額田部連甥法頭(ほうず)とした。

    【日本書紀 巻第二十五 大化元年八月癸卯条】
  • 白雉2年3月15日

    皇祖母尊が十師らを召して斎会を設ける。

    【日本書紀 巻第二十五 白雉二年三月戊申条】