狛堅部子麻呂

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名前
  • 狛堅部子麻呂【日本書紀】たて
  • 高麗畫師子麻呂【日本書紀】(こまのえかきこまろ, ゑか)高麗画師子麻呂
キーワード
  • 画工【日本書紀 巻第二十五 白雉四年六月条】
生年月日
( ~ 白雉4年6月29日)
没年月日
(斉明天皇5年1月1日 ~ )
出来事
  • 白雉4年6月

    孝徳天皇の命令で、亡くなった旻法師の為に鯽魚戸直らと共に多くの仏像・菩薩像を造り、川原寺(かわらでら)に安置「或る本では山田寺にるという」とある。する。

    【日本書紀 巻第二十五 白雉四年六月条】
  • 斉明天皇5年

    高麗の使人が羆の皮一枚を持ってきて「綿六十斤でどうだ」と言った。市司(いちのつかさ)は笑って去っていった。

    高麗画師子麻呂が同姓の客を自分の家に招いた日、官の羆の皮七十枚を借りて、客席に敷いた。客らは羞じ怪しんで退出した。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年是歳条】