古人大兄皇子

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名前
  • 古人大兄皇子【日本書紀】(ふるひとのおおえのみこ, ふるおほ𛀁
  • 古人皇子【日本書紀】(ふる
  • 大兄皇子【日本書紀】(おおえのみこ, おほ𛀁
  • 古人大兄【日本書紀】(ふるひとのおおえ, ふるおほ𛀁)
  • 古人大市皇子【日本書紀】(ふるひとのおおちのみこ, ふるおほち
  • 古人大兄市皇子校異(北野本)。【日本書紀】
  • 古人太子【日本書紀】(ふる
  • 吉野太子【日本書紀】
  • 吉野古人皇子【日本書紀】ふる
  • 吉野皇子【日本書紀】
  • 吉野大兄王【日本書紀】(よしののおおえのみこ, おほ𛀁
性別
男性
生年月日
( ~ 皇極天皇2年12月29日)
没年月日
大化元年9月12日
  • 舒明天皇じょめいてんのう【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇二年正月戊寅条】
  • 法提郎媛ほてのいらつめ【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇二年正月戊寅条】
先祖
  1. 舒明天皇
    1. 押坂彦人大兄皇子
      1. 敏達天皇
      2. 広姫
    2. 糠手姫皇女
      1. 敏達天皇
      2. 菟名子夫人
  2. 法提郎媛
    1. 蘇我馬子
      1. 蘇我稲目
      2. unknown
    2. unknown
  • 倭姫王やまとひめのおおきみ【日本書紀 巻第二十七 天智天皇七年二月戊寅条】【母:不明】
出来事
  • 舒明天皇の皇子として生まれる。母は法提郎媛

    【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇二年正月戊寅条】
  • 皇極天皇2年(11月5日 ~ 12月)

    胆駒山(いこまやま)に隠れる山背大兄王討伐のため、蘇我入鹿が自ら出陣しようとした。

    時に古人大兄皇子が息を切らせながらやって来て「何処へ向うのか」と問うた。
    入鹿は詳しく理由を説明した。
    古人皇子は「鼠は穴に隠れて生きるが、穴を失うと死ぬ」と言った。
    入鹿はこれにより行くのをやめ、軍将らを遣わして胆駒を探させたが見つけることは出来なかった。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇二年十一月丙子朔条】
  • 皇極天皇4年6月12日

    天皇は大極殿に御座した。古人大兄が侍った。

    中臣鎌子連蘇我入鹿臣の人となりが疑い深く、昼夜剣を持っていることを知っていたので、俳優(わざひと)に教えて騙し解かせた。
    入鹿臣は笑って剣を解き、中に入って座についた。

    倉山田麻呂臣は進み出て三韓の表文を読み上げた。
    中大兄衛門府(ゆけいのつかさ)に戒めて、一斉に十二の通門を固めて往来を止めた。
    衛門府を一ヶ所に集めて禄を授けようとした。

    時に中大兄は長槍を持って殿の側に隠れた。
    中臣鎌子連らは弓矢を持って助け守った。

    海犬養連勝麻呂を使い、箱の中に入った二つの剣を佐伯連子麻呂葛城稚犬養連網田に授けて「ぬかりなく忽ちに斬れ」と言った。
    子麻呂らは水で飯を流し込んだが、恐れて吐き出してしまった。中臣鎌子連は責めつつも励ました。
    倉山田麻呂臣は表文を読み終わろうとしても子麻呂らが来ないのを恐れて汗が体から溢れ、声が乱れ、手が震えた。
    鞍作臣が怪しんで「何故震えているのか」と問うと、山田麻呂は「天皇が近くにお出でなので汗が流れてしまいます」と答えた。
    中大兄子麻呂らが入鹿の威に恐れ、怯んで進み出ないのを見て「やあ」と言った。
    そして子麻呂らと共に、不意に剣で入鹿の頭と肩を割った。
    入鹿は驚いて立とうとした。
    子麻呂は剣を振るってその片足を斬った。
    入鹿は御座のほうに転び、叩頭して「嗣位にお出でになるのは天の子です。自分の罪がわかりません。どうか明らかにして下さい」と言った。
    天皇は大いに驚いて中大兄に詔して「いったい何事であるか」と言った。
    中大兄は地に伏して言うには「鞍作「蘇我臣入鹿のまたの名が鞍作である」とある。は天宗を全て滅ぼして日位(ひつぎのくらい)を傾けようとしました。どうして天孫を鞍作に代えることが出来ましょうか」と。
    天皇は立ち上がって殿の中に入った。

    佐伯連子麻呂稚犬養連網田入鹿臣を斬った。


    この日、雨が降って水が庭に溢れた。
    席障子(むしろしとみ)鞍作の屍を覆った。

    古人大兄は私宅に走り入って、人に「韓人が鞍作臣を殺した「韓(からひと)の政に因り誅したことを言う」とある。。私の心は痛い」と言った。
    そして寝所に入り、門を閉ざして出なかった。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇四年六月戊申条】
  • 皇極天皇4年6月13日

    蘇我蝦夷が自害する。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇四年六月己酉条】
  • 皇極天皇4年6月14日

    天豊財重日足姫天皇は位を中大兄に伝えようと思い、詔して云々。
    中大兄は退いて中臣鎌子連に語った。
    中臣鎌子連が言うには「古人大兄は殿下の兄君です。軽皇子は殿下の(おじ)君です。古人大兄がおいでになる今、殿下が天皇の位をお嗣ぎになれば、人の弟として遜恭の心に背いてしまいます。しばらくは舅上をお立てになり、民の望みにお答えになれば良いではございませんか」と。
    そこで中大兄は深くその言葉を誉め、密かに奏上した。

    天豊財重日足姫天皇は璽綬を授けて禅位して「ああ、なんじ軽皇子よ」と言って云々。

    軽皇子は再三固辞し、いよいよ古人大兄、またの名は古人大市皇子に譲って言うには「大兄命は天皇の御子です。そしてまた年長です。この二つの理を以って天位におつきになるべきです」と。

    古人大兄は座を退いて拱手して胸の前で両手を重ねて敬礼。言うには「天皇の思し召しに従います。どうして無理して私に譲ることがありましょうか。私は出家して吉野に入りたいと思います。仏道を勤め修めて天皇の幸せをお祈りします」と。
    言い終わると佩刀を解いて地面に投げ打った。また帳内(とねり)に命じて刀を解かせた。
    そして法興寺の仏殿と塔の間に詣でると、髯・髪を剃って袈裟を着た。

    【日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇即位前紀 皇極天皇四年六月庚戌条】
  • 大化元年9月3日

    蘇我田口臣川掘物部朴井連椎子吉備笠臣垂倭漢文直麻呂朴市秦造田来津と共に謀反を企てる。

    【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月戊辰条】
  • 大化元年9月12日

    吉備笠臣垂中大兄に自首して言うには「吉野古人皇子と蘇我田口臣川掘らは謀反を企てております。私もその企てに加わっておりました」と。

    中大兄菟田朴室古高麗宮知に若干の兵士を率いさせて古人大市皇子らを討った。

    【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月丁丑条】
    • 吉備笠臣垂阿倍大臣蘇我大臣に言うには「私は吉野皇子の謀反の企てに加わっておりましたが自首致します」と。

      【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月丁丑条 或本云】
    • 大化元年11月30日

      十一月甲午三十日。中大兄阿倍渠曽倍臣(あべのこそべのおみ)佐伯部子麻呂の二人に兵四十人校異:三十人を率いさせて古人大兄を攻め古人大兄と子を斬った。その妃・妾は自殺した。

      【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月丁丑条 或本云】
    • 大化元年11月

      十一月。吉野大兄王が謀反を企てたが、事が発覚して誅殺された。

      【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月丁丑条 或本云】