押坂彦人大兄皇子

名前
  • 押坂彥人大兄皇子【日本書紀】(おしさかのひこひとのおおえのみこ, おしさかおほ𛀁)押坂彦人大兄皇子
  • 麻呂古皇子【日本書紀】(ま
  • 彥人大兄皇子【日本書紀】(ひこひとのおおえのみこ, おほ𛀁)彦人大兄皇子
  • 彥人皇子【日本書紀】)彦人皇子
  • 忍坂日子人太子【古事記】(おしさか
  • 麻呂古王【古事記】(ま
  • 日子人太子【古事記】
  • 彥人大兄王【先代旧事本紀】(ひこひとのおおえのみこ, おほ𛀁)彦人大兄王
キーワード
  • 後裔は左京御原真人(みはらのまひと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 用明天皇2年4月2日)
没年月日
(用明天皇2年4月2日 ~ )
  • 敏達天皇びだつてんのう【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月甲子条】
  • 広姫ひろひめ【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月甲子条】
先祖
  1. 敏達天皇
    1. 欽明天皇
      1. 継体天皇
      2. 手白香皇女
    2. 石姫皇女
      1. 宣化天皇
      2. 橘仲皇女
  2. 広姫
    1. 息長真手王
配偶者
  • 小墾田皇女おはりだのひめみこ【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
  • 糠代比売命ぬかでひめのみこと【古事記 下巻 敏達天皇段】
  • 大俣王おおまたのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】
  • 玄王ゆみはりのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】
  • 智奴王ちぬのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:大俣王おおまたのみこ
  • 田村皇子たむらのみこ舒明天皇じょめいてんのう【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇即位前紀, 古事記 下巻 敏達天皇段】【母:糠手姫皇女ぬかてひめのひめみこ田村王たむらのみこ)】
  • 中津王なかつのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:糠代比売命ぬかでひめのみこと
  • 多良王たらのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:糠代比売命ぬかでひめのみこと
  • 桑田王くわたのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:大俣王おおまたのみこ
  • 山代王やましろのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:玄王ゆみはりのみこ
  • 笠縫王かさぬいのみこ【古事記 下巻 敏達天皇段】【母:玄王ゆみはりのみこ
出来事
  • 敏達天皇の皇子として生まれる。母は広姫

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月甲子条】
  • 日子人太子は庶妹の田村王。またの名は糠代比売命を娶り、生まれた御子は
    岡本宮にて天下を治めた天皇
    次に中津王
    次に多良王の三柱。

    また漢王の妹の大俣王を娶り、生まれた御子は
    智奴王
    次に妹の桑田王の二柱。

    また庶妹の玄王を娶り、生まれた御子は
    山代王
    次に笠縫王の二柱。

    合わせて七王。

    【古事記 下巻 敏達天皇段】
  • 用明天皇2年4月2日記事に二年夏四月乙巳朔丙子とあるが、乙巳を朔日とすると丙子(32日)は誤り。次の崩御記事が癸丑(9日)であるから丙午(2日)か壬子(8日)が候補か。当サイトでは丙午とする。

    中臣勝海が太子彦人皇子の像と竹田皇子の像を作って呪詛する。

    【日本書紀 巻第二十一 用明天皇二年四月丙子条】