敏達天皇の皇子として生まれる。母は推古天皇。
用明天皇2年4月2日
中臣勝海が太子彦人皇子の像と竹田皇子の像を作って呪詛する。
用明天皇2年7月
諸皇子や蘇我馬子ら群臣と共に物部守屋を討つ。
(推古天皇元年 ~ 推古天皇36年3月7日)
推古天皇から群臣に遺詔があり、「近年は五穀が実らず人民はひどく飢えている。朕の為に陵を興して厚く葬ってはならない。竹田皇子の陵に葬ればよい」と。
推古天皇36年3月7日
推古天皇が崩じる。
推古天皇36年9月18日
推古天皇が竹田皇子の陵に葬られる。