名前
  • 竹田皇子【日本書紀】(た
  • 竹田王【古事記】(た
  • 小貝王【古事記】(おかいのみこ, をか
生年月日
( ~ 用明天皇2年4月2日)
没年月日
(推古天皇36年9月18日 ~ )
  • 敏達天皇びだつてんのう【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
  • 推古天皇すいこてんのう【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
先祖
  1. 敏達天皇
    1. 欽明天皇
      1. 継体天皇
      2. 手白香皇女
    2. 石姫皇女
      1. 宣化天皇
      2. 橘仲皇女
  2. 推古天皇
    1. 欽明天皇
      1. 継体天皇
      2. 手白香皇女
    2. 堅塩媛
      1. 蘇我稲目
      2. unknown
出来事
  • 敏達天皇の皇子として生まれる。母は推古天皇

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
  • 用明天皇2年4月2日記事に二年夏四月乙巳朔丙子とあるが、乙巳を朔日とすると丙子(32日)は誤り。次の崩御記事が癸丑(9日)であるから丙午(2日)か壬子(8日)が候補か。当サイトでは丙午とする。

    中臣勝海が太子彦人皇子の像と竹田皇子の像を作って呪詛する。

    【日本書紀 巻第二十一 用明天皇二年四月丙子条】
  • 用明天皇2年7月

    諸皇子や蘇我馬子ら群臣と共に物部守屋を討つ。

    【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年七月条】
  • (推古天皇元年 ~ 推古天皇36年3月7日)

    推古天皇から群臣に遺詔があり、「近年は五穀が実らず人民はひどく飢えている。朕の為に陵を興して厚く葬ってはならない。竹田皇子の陵に葬ればよい」と。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十六年九月戊子条】
  • 推古天皇36年3月7日

    推古天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十六年三月癸丑条】
  • 推古天皇36年9月18日日本書紀では九月の朔日を己巳としている。そうすると壬辰は二十四日になる。しかし暦的には甲戌あたりが適当なはずで、己巳朔は矛盾が生じる。仮に推古天皇三十七年(舒明天皇元年)九月己巳朔とすると暦的に矛盾は生じない。

    推古天皇竹田皇子の陵に葬られる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十六年九月壬辰条】