中臣鎌子

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名前
  • 氏(ウジ):中臣【日本書紀】(なかとみ)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:鎌子【日本書紀】(かま
生年月日
( ~ 欽明天皇13年10月30日)
没年月日
(欽明天皇13年10月1日 ~ )
出来事
  • 欽明天皇13年10月

    百済の聖明王西部(せいほう)姫氏(きし)達率怒唎斯致契らを遣わして釈迦仏の金銅像(かねのみかた)一躯・幡蓋(はたきぬがさ)若干・経論若干巻を献上した。
    別に上表し、広く礼拝する功徳を賞賛して「この法は諸々の法の中でも最も勝れています。解り難く入り難く、周公・孔子がなお知り給うことが出来ませんでした。この法は無量無辺の福徳果報(いきおいむくい)を生じ、すなわち無上の菩提を成し、譬えば人が如意宝珠を懐いて思うがままになるように、この妙法の宝もまた同様です。祈願すること思うがままにして乏しいところはございません。遠くは天竺から三韓に至るまで、教えに従って尊敬しております。これにより百済の王臣は謹しんで陪臣怒唎斯致契を遣わして帝国(みかど)に伝え奉り、国内に流通させて、仏が『我が法は東に伝わる』と記すことを果たそうと思うのです」と。

    この日、天皇は聞き終わると歓喜踊躍し、使者に詔して「朕は昔よりこれまでに、未だかつてこのような妙法を聞いたことがない。しかし朕は自決しない」と。
    そして群臣一人一人に問うて「西国から伝わる仏の相貌は端厳で、未だかつて見たことがない。敬うべきかどうか」と。

    蘇我大臣稲目宿禰が奏上して「西の諸国では皆が敬います。豊秋(とよあき)日本(やまと)がどうして独り背きましょうか」と。
    物部大連尾輿・中臣連鎌子が同じく奏上して「我が国家、天下の王は、常に天地社稷の百八十神を春夏秋冬に祭り拝するを事とします。今改めて外の神を拝すれば、恐らく国神がお怒りになるでしょう」と。
    天皇は「それでは情願する稲目宿禰に授けて、試しに礼拝させてみよう」と言った。
    大臣は跪き受けて悦んだ。
    小墾田の家に安置して、懇ろに仏道を修める頼みとした。
    向原(むくはら)の家を清めて寺とした。

    後に国に疫病が流行って、民に若死する者が多く、治療することも出来なかった。
    物部大連尾輿・中臣連鎌子が同じく奏上して「過去の臣の意見を用いられずに、この病気・死者を招きました。以前に戻せば必ず慶事がございましょう。早く投げ棄てられて、後の福をお求めなさいませ」と。
    天皇は「申すままにせよ」と言った。

    有司は仏像を難波の堀江に投げ棄てた。また寺に火をつけて余すことなく焼いた。
    すると天に風と雲が無いのに急に大殿に火災がおこった。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十三年十月条】