倭漢文麻呂 名前 氏(ウジ):倭漢文【日本書紀】(やまとのあやのふみ)倭漢文 氏(ウジ):書【日本書紀】(ふみ) 姓(カバネ):直【日本書紀】(あたい, あたひ) 名:麻呂【日本書紀】(まろ) 生年月日( ~ 大化元年9月3日) 没年月日(白雉5年2月1日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。大乙上(だいおつじょう)【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条】小山下(しょうせんげ)【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条 或本云】 出来事 大化元年9月3日 古人皇子・蘇我田口臣川掘・物部朴井連椎子・吉備笠臣垂・朴市秦造田来津と共に謀反を企てる。 【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月戊辰条】 大化元年9月12日 吉備笠臣垂が自首した為に古人皇子が中大兄に誅殺される。 【日本書紀 巻第二十五 大化元年九月丁丑条】 白雉5年2月 判官として遣唐船に乗る。押使(すべつかい)は高向史玄理、大使は河辺臣麻呂。 漂うこと数ヶ月、新羅道を辿って莱州(らいしゅう)に着いた。 【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条】