大伴長徳

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性別
男性
生年月日
( ~ 舒明天皇4年10月4日)
没年月日
(白雉元年2月15日 ~ )
先祖
  1. 大伴噛
  2. unknown
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 小徳しょうとく【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年十二月甲午条】
  • 小紫しょうし【日本書紀 巻第二十五 大化五年四月甲午条】
  • 大紫だいし【日本書紀 巻第二十五 大化五年四月甲午条】
  • 右大臣うだいじん【日本書紀 巻第二十五 大化五年四月甲午条】
出来事
  • 舒明天皇4年10月4日

    難波津(なにわのつ)に着いた唐国の使人高表仁らを江口に迎える。

    船三十二艘、及び(つづみ)(ふえ)旗幟(はた)を整飾した。
    そして高表仁らに告げて「天子が遣わされた使いが、天皇の朝廷においでになると聞いてお迎えに参りました」と言った。
    高表仁は「風が吹き荒れる日に、整飾された船でお迎え賜り、喜びかつ恐縮に存じます」と答えた。

    【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇四年十月甲寅条】
  • 皇極天皇元年12月13日

    皇極天皇舒明天皇の喪を発した際に、蘇我蝦夷の代りに(しのびごと)する。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年十二月甲午条】
  • 皇極天皇3年6月1日

    皇極天皇に百合の花を献上する。
    その茎の長さは八尺で、根元は別なのに先は連なっていた。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇三年六月癸卯朔条】
  • 皇極天皇4年6月14日

    孝徳天皇の即位礼に際し、金の(ゆき)を帯びて(たかみくら)の右に立つ。

    【日本書紀 巻第二十五 孝徳天皇即位前紀 皇極天皇四年六月庚戌条】
  • 大化5年4月20日

    大紫を授かり右大臣を拝命する。

    【日本書紀 巻第二十五 大化五年四月甲午条】
  • 白雉元年2月15日

    朝庭の儀仗隊が元日の儀式のように整った。
    右の大臣・百官の人々が四列になって紫門の外に並んだ。
    粟田臣飯虫ら四人が雉の輿を担いで先立ちとして進み、右の大臣・百官、百済君豊璋、その弟の塞城忠勝、高麗の侍医毛治、新羅の侍学士らを率いて中庭に至った。
    三国公麻呂猪名公高見三輪君甕穂紀臣乎麻呂岐太ら四人が雉の輿を代わって担いで御殿の前に進んだ。
    そして右の大臣が輿の前頭をとり、伊勢王三国公麻呂倉臣小屎が輿の後頭をとって御座の前に置いた。

    天皇皇太子を召して、共に手に取って見た。皇太子は退いて再拝した。
    巨勢大臣に奉賀させて言うには「公卿・百官の人々がお祝い申し上げます。陛下が清く平かな徳で天下を御統治あそばされますので、白雉が西方より現れました。陛下におかれましては、千秋万歳に至るまで四方の大八島を御統治あそばせたまい、公卿・百官・諸々の人々は忠誠を尽して勤しんでお仕え申し上げます」と。奉賀が終り再拝した。

    詔して「聖の王が世に出て天下を治める時、天は応えて祥瑞を示すという。昔、西土の君で、周の成王の御世と漢の明帝の時に白雉が現れた。我が日本国では誉田天皇の御世に白鳥が宮に巣を作った。大鷦鷯帝の時には竜馬が西に現れた。このように古から今に至るまで、祥瑞が現れて有徳に応える類は多い。いわゆる鳳凰・騏驎・白雉・白鳥、こうして鳥獣・草木に及ぶまで、しるしで応えることがあるのは、天地が生む休祥・嘉瑞なのである。明聖の君がこの祥瑞を得るのはわかるが、虚薄な朕がどうしてこれを受けられようか。思うにこれは専ら扶翼する公卿・臣・連・伴造・国造らが誠を尽し、制度を遵奉するからであろう。そこで公卿から始めて百官らに至るまで、清く明かな心で神祇を敬い、皆で休祥を受けて天下を栄えさせよ」と。
    また詔して「四方の諸々の国や郡など、天が委ね授けられる為に、朕が総じて天下を治めている。今我が親愛なる神祖の治められる穴戸(あなと)後の長門。国の中に嘉瑞があった。そこで天下に大赦する。改元して白雉とする」と。
    そして鷹を穴戸の境に放つことを禁じた。

    公卿大夫以下、史に至るまで各々に下賜があった。

    【日本書紀 巻第二十五 白雉元年二月甲申条】