642年3月8日
皇極天皇は阿曇山背連比良夫・草壁吉士磐金・倭漢書直県を百済の弔使の所へ遣わして消息を尋ねた。 弔使は返答して「百済国主は私に『塞上はいつも悪さを働くので、還使に付けて返して頂くようにお願いしても朝廷はお許しにならないであろう』と言いました」と。