三国麻呂 名前 氏(ウジ):三國【日本書紀】(みくに)三国 姓(カバネ):公【日本書紀】(きみ) 名:麻呂【日本書紀】(まろ) 生年月日( ~ 大化5年3月24日) 没年月日(白雉元年2月15日 ~ ) 出来事 大化5年3月24日 孝徳天皇は大伴狛連・三国麻呂公・穂積噛臣を蘇我倉山田麻呂大臣のもとに遣わして反逆の虚実を問うた。 大臣は「御返事は天皇の御前で申し上げます」と答えた。 天皇はまた三国麻呂公・穂積噛臣を遣わして反状を審らかにしようとしたが、麻呂大臣はまた前のように答えた。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月戊辰条】 白雉元年2月15日 白雉改元の儀式が朝廷で行われた際に、雉が乗った輿を猪名公高見・三輪君甕穂・紀臣乎麻呂岐太と共に中庭から御殿の前まで担ぎ、伊勢王・倉臣小屎と共に後頭をとって御座の前に置く。 【日本書紀 巻第二十五 白雉元年二月甲申条】