穂積咋 名前 氏(ウジ):穗積【日本書紀】(ほづみ)穂積 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:咋【日本書紀】(くい, くひ) 名:嚙【日本書紀】(くい, くひ)噛 生年月日( ~ 大化2年3月19日) 没年月日(大化5年3月26日 ~ ) 出来事 大化2年3月19日 朝集使によって、「人民に物を求めた後に悔いて物を返そうとしたが全てを返さなかったこと」を報告されるが孝徳天皇により大赦される。 【日本書紀 巻第二十五 大化二年三月辛巳条】 大化5年3月24日 孝徳天皇は大伴狛連・三国麻呂公・穂積噛臣を蘇我倉山田麻呂大臣のもとに遣わして反逆の虚実を問うた。 大臣は「御返事は天皇の御前で申し上げます」と答えた。 天皇はまた三国麻呂公・穂積噛臣を遣わして反状を審らかにしようとしたが、麻呂大臣はまた前のように答えた。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月戊辰条】 大化5年3月25日 蘇我倉山田麻呂大臣が経死する。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月己巳条】 大化5年3月26日 山田大臣の妻子及び従う者、自ら経死した者は多かった。 穂積臣噛は大臣の一党の田口臣筑紫らを捉えて集め、首枷をかけて後ろ手に縛った。 夕方、木臣麻呂・蘇我臣日向・穂積臣噛は軍を率いて寺を囲んだ。 物部二田造塩を呼んで大臣の首を斬らせた。 二田塩は大刀を抜き、その肉を刺し挙げ、叫び声を上げて斬った。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月庚午条】