物部二田塩 名前 氏(ウジ):物部二田【日本書紀】(もののべのふつた) 氏(ウジ):二田【日本書紀】(ふつた) 姓(カバネ):造【日本書紀】(みやつこ) 名:鹽【日本書紀】(しお, しほ)塩 生年月日( ~ 大化5年3月26日) 没年月日(大化5年3月26日 ~ ) 出来事 大化5年3月26日 木臣麻呂・蘇我臣日向・穂積臣噛が軍を率いて山田寺を囲んだ際に、経死した蘇我倉山田麻呂の首を斬るよう命じられる。 二田塩は大刀を抜き、その肉を刺し挙げ、叫び声を上げて斬った。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月庚午条】 (大化5年3月26日 ~ ) 皇太子の妃蘇我造媛は、父の大臣が塩に斬られたと聞き、傷心して悲しみ悶えた。塩の名を聞くことを憎んだ。 このため造媛の近侍は、塩の名を呼ぶことを忌み、改めて堅塩(きたし)と言った。 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月是月条】