大化5年3月26日
木臣麻呂・蘇我臣日向・穂積臣噛が軍を率いて山田寺を囲んだ際に、経死した蘇我倉山田麻呂の首を斬るよう命じられる。
二田塩は大刀を抜き、その肉を刺し挙げ、叫び声を上げて斬った。
(大化5年3月26日 ~ )
皇太子の妃蘇我造媛は、父の大臣が塩に斬られたと聞き、傷心して悲しみ悶えた。塩の名を聞くことを憎んだ。 このため造媛の近侍は、塩の名を呼ぶことを忌み、改めて堅塩(きたし)と言った。