遠智娘
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- 名前
- 遠智娘【日本書紀】(おちのいらつめ, をちのいらつめ)
- 造媛【日本書紀】(みやつこひめ)
- 美濃津子娘【日本書紀】(みのつこのいらつめ)
- 茅渟娘【日本書紀】(ちぬのいらつめ)
- 氏(ウジ):蘇我【日本書紀】(そが)
- 性別
- 女性
- 没年月日
- (大化5年3月26日 ~ )
- 父
蘇我倉山田石川麻呂 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月是月条, 日本書紀 巻第二十七 天智天皇七年二月戊寅条】
- 先祖
- 配偶者
天智天皇 【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月是月条, 日本書紀 巻第二十七 天智天皇七年二月戊寅条】
- 子
- 出来事
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(大化5年3月26日 ~ )
皇太子の妃蘇我造媛は、父の大臣が塩に斬られたと聞き、傷心して悲しみ悶えた。塩の名を聞くことを憎んだ。
このため造媛の近侍は、塩の名を呼ぶことを忌み、改めて堅塩 と言った。造媛は遂に傷心して死に至ってしまった。
皇太子は造媛の急逝を聞き、悼み哀しんで激しく泣いた。
野中川原史満が進み出て歌を奉った。「
耶 麻 鵝 播 爾 烏 志 賦 拕 都 威 底 陀 虞 毗 預 倶 陀 虞 陛 屢 伊 慕 乎 多 例 柯 威 爾 鷄 武 」「
模 騰 渠 等 爾 婆 那 播 左 該 騰 摸 那 爾 騰 柯 母 于 都 倶 之 伊 母 我 磨 陀 左 枳 涅 渠 農 」皇太子は歎き褒めて「良い歌だなぁ。悲しいなぁ」と言った。
【日本書紀 巻第二十五 大化五年三月是月条】
そして御琴を授けて唱和させ、絹四匹・布二十端・綿二褁を賜った。
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