皇孫建王が年八歳で薨じた。今城谷の上に殯を起てて収めた。
天皇は元より皇孫の美しい心を愛した。それで哀しみを隠さず慟哭した。
群臣に詔して「朕が死んだ後に朕の陵に合葬せよ」と。
そして歌詠みして
「伊磨紀那屢 乎武例我禹杯爾 倶謨娜尼母 旨屢倶之多多婆 那爾柯那皚柯武」
「伊喩之之乎 都那遇舸播杯能 倭柯矩娑能 倭柯倶阿利岐騰 阿我謨婆儺倶爾」
「阿須箇我播 瀰儺蟻羅毗都都 喩矩瀰都能 阿比娜謨儺倶母 於母保喩屢柯母」
と。
天皇は時々歌っては泣いた。
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年五月条】