斉明天皇4年10月15日
斉明天皇が紀温湯(きのゆ)に行幸する。
天皇は皇孫建王を思い出して悲しみ、口ずさんで
「耶(や)麻(ま)古(こ)曳(𛀁)底(て) 于(う)瀰(み)倭(わ)柁(た)留(る)騰(と)母(も) 於(お)母(も)之(し)樓(ろ)枳(き) 伊(い)麻(ま)紀(き)能(の)禹(う)知(ち)播(は) 倭(わ)須(す)羅(ら)庾(ゆ)麻(ま)旨(し)珥(じ)」
「瀰(み)儺(な)度(と)能(の) 于(う)之(し)裒(ほ)能(の)矩(く)娜(だ)利(り) 于(う)那(な)倶(く)娜(だ)梨(り) 于(う)之(し)廬(ろ)母(も)倶(く)例(れ)尼(に) 𩚿(お)岐(き)底(て)舸(か)庾(ゆ)舸(か)武(む)」
「于(う)都(つ)倶(く)之(し)枳(き) 阿(あ)餓(が)倭(わ)柯(か)枳(き)古(こ)弘(を) 𩚿(お)岐(き)底(て)舸(か)庾(ゆ)舸(か)武(む)」
と。 秦大蔵造万里に詔して「この歌を伝えて、世に忘れないようにせよ」と。