大化5年3月24日
孝徳天皇の命令で蘇我倉山田麻呂大臣に反逆の虚実を問う。
大化5年3月25日
孝徳天皇は大伴狛連と蘇我日向臣を将として軍を率い大臣を追わせた。 将軍の大伴連らが黒山(くろやま)に至ると、土師連身・采女臣使主麻呂が山田寺から馳せ参じて「蘇我大臣は既に三男一女らと共に自ら経死されました」と告げた。 これにより将軍らは丹比坂(たじひのさか)を経て帰還した。