高向国押 名前 氏(ウジ):高向【日本書紀】(たかむく) 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:國押【日本書紀】(くにおし)国押 生年月日( ~ 皇極天皇2年12月29日) 没年月日(皇極天皇4年6月12日 ~ ) 子高向麻呂(たかむこのまろ)【母:不明】 出来事 皇極天皇2年(11月5日 ~ 12月) 蘇我入鹿の山背大兄王討伐の要請に対して「私は天皇の宮をお守るするので敢えて外には出ません」と返答する。 【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇二年十一月丙子朔条】 皇極天皇4年6月12日 蘇我入鹿が殺害される。 漢直(あやのあたい)らは族党を総べ集め、甲(よろい)を着て武器を持ち、大臣を助けようと軍陣を設けた。 中大兄は将軍巨勢徳陀臣を使い、天地開闢より君臣の別が始めからあることを賊党に説いて、進むべき道を知らしめた。 高向臣国押が漢直らに言うには「我らは君大郎により殺されようとしている。大臣もまた今日明日には殺されることが決まったようなものだ。ならば誰の為に空しい戦いをして処刑されようか」と。 言い終わると剣を解き、弓を投げ捨てて去っていった。 賊徒もまた随って散り散りに去った。 【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇四年六月戊申条】