蘇我赤兄

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名前
  • 氏(ウジ):蘇我【日本書紀】が)
  • 氏(ウジ):蘇賀【日本書紀】が)
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:赤兄【日本書紀】(あかえ, あか𛀁)
  • 蘇我赤兄大臣【日本書紀】(そがのあかえのおおおみ, あか𛀁おほお
性別
男性
生年月日
( ~ 斉明天皇4年11月3日)
没年月日
(天智天皇10年12月3日 ~ )
先祖
  1. 蘇我倉麻呂
    1. 蘇我馬子
      1. 蘇我稲目
      2. unknown
    2. unknown
  2. unknown
  • 常陸娘ひたちのいらつめ【日本書紀 巻第二十七 天智天皇七年二月戊寅条】【母:不明】
  • 大蕤娘おおぬのいらつめ【母:不明】
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大錦上だいきんじょう【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年十月甲子条】
  • 左大臣さだいじん【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年正月癸卯条】
  • 筑紫大宰帥つくしのおおみこともち【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年正月戊子条】
出来事
  • 斉明天皇4年11月3日

    留守官このとき斉明天皇は紀国へ行幸。の蘇我赤兄臣が有間皇子に語って「天皇の政事には三つの失政がございます。大きな倉庫を起てて民の財を積み集めることがその一。長い溝を掘って食糧を浪費したことがその二。舟に石を載せて運び、積み上げて丘にしたことがその三」と。
    有間皇子は赤兄の好意を知り、喜んで答えて「この年になって初めて兵を用いる時がきた」と。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月壬午条】
  • 斉明天皇4年11月5日

    有間皇子は赤兄の家に向い、高殿に登って画策していると、夾膝(おしまずき)が自然に壊れた。
    これを不祥の前兆と知り、共に誓って中止した。皇子は帰って寝た。

    この夜半に赤兄は物部朴井連鮪を遣わし、宮を造る(よほろ)を集めて有間皇子市経(いちぶ)の家を囲んだ。
    そして駅使を遣わして天皇に奏上した。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月甲申条】
    • 有間皇子と蘇我臣赤兄・塩屋連小戈守君大石坂合部連薬短籍(ひねりぶみ)短い紙片で作った籤。を取って謀反の事を占った。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条 或本云 第一】
    • 有間皇子が言うには「まず大宮を焼いて、五百人で一日両夜牟婁津(むろのつ)で迎え撃ち、速やかに船軍で淡路国への道を断って牢屋に入ったようにすれば、その事は成り易いであろう」と。
      人が諫めて言うには「いけません。計画はそれとしても徳がありません。いま皇子の年は十九です。まだ成人されていません。成人して徳を得るまで待ちましょう」と。

      他の日に有間皇子と一人の判事と謀反について相談した時、皇子の机案(おしまずき)の脚が自然と折れた。
      しかし相談は止めず、遂に誅殺された。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条 或本云 第二】
  • 斉明天皇4年11月9日

    有間皇子守君大石坂合部連薬塩屋連鯯魚は捉えられて紀温湯(きのゆ)に送られた。
    舎人新田部末麻呂が従った。

    皇太子有間皇子に親しく尋ねて「どうして謀反を企んだのか」と。答えて「天と赤兄が知っています。私は何も知りません」と。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月戊子条】
  • 斉明天皇4年11月11日

    有間皇子が処刑される。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条】
  • 天智天皇8年1月9日

    筑紫率を拝命する。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年正月戊子条】
  • 天智天皇8年10月19日

    天智天皇に従い、藤原鎌足3日前に薨去している。の家で恩詔を読み上げる。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年十月甲子条】
  • 天智天皇10年1月2日

    巨勢人と共に大殿の前に進んで賀正事(よごと)を奏上する。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年正月庚子条】
  • 天智天皇10年1月5日

    左大臣を拝命する。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年正月癸卯条】
  • 天智天皇10年10月19日

    吉野宮(よしののみや)に入る大海人皇子を菟道まで見送る。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇即位前紀 天智天皇即位四年十月壬午条】
  • 天智天皇10年11月23日

    大友皇子は内裏の西殿の織物の仏像の前にいた。
    左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連蘇我果安臣巨勢人臣紀大人臣が侍った。

    大友皇子は手に香鑪(こうろ)をとり、先ず立って誓って言うには「六人は心を同じくして天皇の詔を承ります。もし違える者があれば必ず天罰を被るであろう」と云々。

    左大臣蘇我赤兄臣らは手に香鑪をとり、順次立って泣きながら誓って言うには「我ら五人は殿下に従い天皇の詔を承ります。もし違える者があれば四天王が打ち、天神地祇もまた罰を下されるでしょう。三十三天もこの事をご承知下さい。子孫もまさに絶え、家門は必ず亡びるでしょう」と云々。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年十一月丙辰条】
  • 天智天皇10年11月29日

    五臣が大友皇子を奉じて天皇の前に誓った。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年十一月壬戌条】
  • 天智天皇10年12月3日

    天智天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年十二月乙丑条】