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天智天皇10年1月5日
御史大夫を拝命する。
天智天皇10年10月19日
吉野宮(よしののみや)に入る大海人皇子を菟道まで見送る。
天智天皇10年11月23日
大友皇子は内裏の西殿の織物の仏像の前にいた。 左大臣蘇我赤兄臣・右大臣中臣金連・蘇我果安臣・巨勢人臣・紀大人臣が侍った。
大友皇子は手に香鑪(こうろ)をとり、先ず立って誓って言うには「六人は心を同じくして天皇の詔を承ります。もし違える者があれば必ず天罰を被るであろう」と云々。
左大臣蘇我赤兄臣らは手に香鑪をとり、順次立って泣きながら誓って言うには「我ら五人は殿下に従い天皇の詔を承ります。もし違える者があれば四天王が打ち、天神地祇もまた罰を下されるでしょう。三十三天もこの事をご承知下さい。子孫もまさに絶え、家門は必ず亡びるでしょう」と云々。
天智天皇10年11月29日
五臣が大友皇子を奉じて天皇の前に誓った。
天智天皇10年12月3日
天智天皇が崩じる。
天武天皇元年7月2日
近江方は山部王・蘇賀臣果安・巨勢臣比等に命じ、数万の軍勢を率いて不破を襲わせようと、犬上川(いぬかみのかわ)の側に軍立ちさせた。 しかし山部王は蘇賀臣果安・巨勢臣比等に殺された。 この乱れにより軍は進めず、蘇賀臣果安は犬上に引き返すと頸を刺して死んだ。
天武天皇元年8月25日
子が流罪となる。