有間皇子
- 名前
- 有間皇子【日本書紀】(ありまのみこ)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 舒明天皇12年
- 没年月日
- 斉明天皇4年11月11日
- 父
孝徳天皇 【日本書紀 巻第二十五 大化元年七月戊辰条】
- 母
小足媛 【日本書紀 巻第二十五 大化元年七月戊辰条】
- 先祖
- 出来事
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舒明天皇12年【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条 或本云 第二】
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白雉4年
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白雉5年10月10日
孝徳天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第二十五 白雉五年十月壬子条】 -
斉明天皇元年1月3日
斉明天皇が即位する。
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇元年正月甲戌条】 -
斉明天皇3年9月
有間皇子はずる賢くて狂人を装った云々。
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇三年九月条】牟婁温湯 に行って療養してきたと偽り、国の体勢を讃えて言うには「ただ彼の地を見るだけで病は自ずと消える」と云々。
天皇はこれを聞いて喜び、行って見てみたいと思った。 -
斉明天皇4年11月3日
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斉明天皇4年11月5日
有間皇子は赤兄の家に向い、高殿に登って画策していると、
夾膝 が自然に壊れた。
これを不祥の前兆と知り、共に誓って中止した。皇子は帰って寝た。この夜半に赤兄は物部朴井連鮪を遣わし、宮を造る
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月甲申条】丁 を集めて有間皇子の市経 の家を囲んだ。
そして駅使を遣わして天皇に奏上した。-
有間皇子が言うには「まず大宮を焼いて、五百人で一日両夜
牟婁津 で迎え撃ち、速やかに船軍で淡路国への道を断って牢屋に入ったようにすれば、その事は成り易いであろう」と。
人が諫めて言うには「いけません。計画はそれとしても徳がありません。いま皇子の年は十九です。まだ成人されていません。成人して徳を得るまで待ちましょう」と。他の日に有間皇子と一人の判事と謀反について相談した時、皇子の
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条 或本云 第二】机案 の脚が自然と折れた。
しかし相談は止めず、遂に誅殺された。
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斉明天皇4年11月9日
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斉明天皇4年11月11日
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