阿倍内鳥

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名前
  • 氏(ウジ):阿倍內【日本書紀】(あうち)阿倍内
  • 氏(ウジ):阿倍【日本書紀】(あ
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:鳥【日本書紀】り)
  • 名:鳥子【日本書紀】
生年月日
( ~ 推古天皇16年8月12日)
没年月日
(推古天皇20年2月20日 ~ )
  • 麻呂まろ【母:不明】
出来事
  • 推古天皇16年8月12日

    隋客が朝庭に召されて、使いの旨を奏上させた。
    阿倍鳥臣・物部依網連抱の二人が客の案内をした。
    隋国の信物を庭中に置かれた。
    使主裴世清は自ら書を持って両度再拝して、使いの旨を言上して立った。
    阿倍臣が庭に出てその書を受けて進み出ると、大伴囓連が迎え出て書を承り、大門の前の机の上に置いて奏上した。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十六年八月壬子条】
  • 推古天皇18年10月

    新羅・任那の使人が朝庭で拝礼した。

    秦造河勝土部連菟を新羅の導者とし、間人連塩蓋阿閉臣大籠を任那の導者とする。
    共に先導しながら南門から入って中庭に立った。
    この時に大伴咋連蘇我豊浦蝦夷臣坂本糠手臣・阿倍鳥子臣は共に坐位から立って庭に伏した。
    両国の客は各々再拝して使いの旨を述べた。
    四大夫は進み出て大臣に伝えた。
    大臣は坐位から立って政庁の前で聞いた。

    諸客は禄を賜った。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月丁酉条】
  • 推古天皇20年2月20日

    皇太夫人堅塩媛桧隈大陵(ひのくまのおおみささぎ)に改葬される。

    この日に(かる)の街中で(しのびごと)を奏上した。
    第一に阿倍内臣鳥が天皇の言葉を誄して霊に供え物をした。明器(みけもの)明衣(みけし)の類一万五千種である。
    第二に諸皇子らが順に誄した。
    第三に中臣宮地連烏摩侶大臣の言葉を誄した。
    第四に大臣が多数の支族を率いて、境部臣摩理勢氏姓のもと堅塩媛は蘇我氏。を誄させた。
    時の人が云うには「摩理勢烏摩侶の二人の誄はよかった。ただ鳥臣の誄はよくなかった」と。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇二十年二月庚午条】