推古天皇16年6月15日
掌客(まらうとのつかさ)として大河内直糠手・船史王平らと共に隋の客人裴世清らを難波津で出迎える。
推古天皇20年2月20日
皇太夫人堅塩媛が桧隈大陵(ひのくまのおおみささぎ)に改葬される。
この日に軽(かる)の街中で誄(しのびごと)を奏上した。 第一に阿倍内臣鳥が天皇の言葉を誄して霊に供え物をした。明器(みけもの)・明衣(みけし)の類一万五千種である。 第二に諸皇子らが順に誄した。 第三に中臣宮地連烏摩侶が大臣の言葉を誄した。 第四に大臣が多数の支族を率いて、境部臣摩理勢に氏姓のもとを誄させた。 時の人が云うには「摩理勢・烏摩侶の二人の誄はよかった。ただ鳥臣の誄はよくなかった」と。