坂本糠手 名前 氏(ウジ):坂本【日本書紀】(さかもと) 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:糠手【日本書紀】(あらて) 生年月日( ~ 用明天皇2年7月29日) 没年月日(推古天皇18年10月9日 ~ ) 出来事 用明天皇2年7月 諸皇子や蘇我馬子ら群臣と共に物部守屋を討つ。 【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年七月条】 推古天皇9年3月5日 推古天皇が大伴連囓を高麗(こま)に遣わし、坂本臣糠手を百済に遣わし、詔して「急ぎ任那を救え」と 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇九年三月戊子条】 推古天皇10年6月3日 大伴連囓と共に百済から帰国する。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十年六月己酉条】 推古天皇18年10月9日 新羅・任那の使人が朝庭で拝礼した。 秦造河勝・土部連菟を新羅の導者とし、間人連塩蓋・阿閉臣大籠を任那の導者とする。 共に先導しながら南門から入って中庭に立った。 この時に大伴咋連・蘇我豊浦蝦夷臣・坂本糠手臣・阿倍鳥子臣は共に坐位から立って庭に伏した。 両国の客は各々再拝して使いの旨を述べた。 四大夫は進み出て大臣に伝えた。 大臣は坐位から立って政庁の前で聞いた。 諸客は禄を賜った。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月丁酉条】 関連坂本臣(さかもとのおみ)