秦河勝
- 名前
- 氏(ウジ):秦【日本書紀】(はた)
- 姓(カバネ):造【日本書紀】(みやつこ)
- 名:河勝【日本書紀】(かわかつ, かはかつ)
- 姓(カバネ):公【上宮聖徳法王帝説】(きみ)
- 名:川勝【上宮聖徳法王帝説】(かわかつ, かはかつ)
- 川勝秦公【上宮聖徳法王帝説】(かわかつのはたのきみ, かはかつのはたのきみ)
- 生年月日
- ( ~ 推古天皇11年11月1日)
- 没年月日
- (皇極天皇3年7月1日 ~ )
- 出来事
-
推古天皇11年11月1日
皇太子聖徳太子。が諸大夫に言うには「私は尊い仏像を持っている。誰かこの像を崇拝するか」と。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年十一月己亥朔条】
時に秦造河勝が進み出ると「臣が拝みましょう」と言って仏像を受けた。
それで蜂岡寺 を造った。 -
推古天皇18年10月9日
-
皇極天皇3年7月
東国の
不尽河 今の富士川。のほとりの人大生部多が、虫を祭ることを村里の人に勧めて「これは常世の神である。この神を祭る者は富と長寿を得る」と言った。
巫覡 らも詐って神語 して「常世の神を祭れば貧しい人は富を得て、老人は若返る」と言った。
このように更に勧めて、民家の財宝を捨てさせ、酒を並べ、野菜・六種の家畜馬・牛・羊・豚・犬・鶏。を道端に並べ、「新しい富が入って来たぞ」と言わせた。
都鄙の人は常世の虫を取って祭り、歌い舞い、福を求めて財宝を捨てた。
しかし益は無く、損ばかりが極めて多かった。葛野 の秦造河勝は民を惑わしたことを憎んで大生部多を打った。
巫覡らは恐れて祭りを止めた。時の人が歌を作って言うには
「
禹 都 麻 佐 波 柯 微 騰 母 柯 微 騰 枳 擧 曳 倶 屢 騰 擧 預 能 柯 微 乎 宇 智 岐 多 麻 須 母 」と。
この虫は常に橘の木に生じ、或いは
【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇三年七月条】曼椒 「曼椒。此云衰曽紀」とある。山椒。に生じる。
その長さは四寸余り。その大きさは親指ほどで、その色は緑で黒い点があった。その姿は蚕に似ていた。
-