守大石 名前 氏(ウジ):守【日本書紀】(もり) 姓(カバネ):君【日本書紀】(きみ) 名:大石【日本書紀】(おおいわ, おほいは) 生年月日( ~ 斉明天皇4年11月9日) 没年月日(天智天皇4年1月1日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。大山上(だいせんじょう)天智天皇四年是歳条では小錦だが上中下不明。【日本書紀 巻第二十七 天智天皇即位前紀 斉明天皇七年八月条】 出来事 斉明天皇4年11月3日 留守官の蘇我赤兄臣が有間皇子に語って「天皇の政事には三つの失政がございます。大きな倉庫を起てて民の財を積み集めることがその一。長い溝を掘って食糧を浪費したことがその二。舟に石を載せて運び、積み上げて丘にしたことがその三」と。 有間皇子は赤兄の好意を知り、喜んで答えて「この年になって初めて兵を用いる時がきた」と。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月壬午条】 斉明天皇4年11月5日 有間皇子は赤兄の家に向い、高殿に登って画策していると、夾膝(おしまずき)が自然に壊れた。 これを不祥の前兆と知り、共に誓って中止した。皇子は帰って寝た。 この夜半に赤兄は物部朴井連鮪を遣わし、宮を造る丁(よほろ)を集めて有間皇子の市経(いちぶ)の家を囲んだ。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月甲申条】 有間皇子と蘇我臣赤兄・塩屋連小戈・守君大石・坂合部連薬は短籍(ひねりぶみ)短い紙片で作った籤。を取って謀反の事を占った。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条 或本云 第一】 斉明天皇4年11月9日 有間皇子と守君大石・坂合部連薬・塩屋連鯯魚は捉えられて紀温湯(きのゆ)に送られた。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月戊子条】 斉明天皇4年11月11日 上毛野国に流される。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇四年十一月庚寅条】 斉明天皇7年8月 百済救援軍の将として百済に渡る。 【日本書紀 巻第二十七 天智天皇即位前紀 斉明天皇七年八月条】 天智天皇4年 坂合部連石積・岐弥吉士針間らと共に大唐に派遣される。 この時の冠位は小錦だが上中下不明。【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年是歳条】