郭務悰
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- 名前
- 郭務悰【日本書紀】(かくむそう)
- 生年月日
- ( ~ 664年6月16日)
- 没年月日
- (672年6月30日 ~ )
- 出来事
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664年6月16日
百済鎮将劉仁願が
【日本書紀 巻第二十七 天智天皇三年五月甲子条】朝散大夫 郭務悰らを遣わして表函 と献物を奉る。 -
664年10月25日
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664年10月28日
天智天皇から饗応を受ける。
【日本書紀 巻第二十七 天智天皇三年十月戊寅条】 -
665年1月3日
帰途に就く。
【日本書紀 巻第二十七 天智天皇三年十二月乙酉条】 -
665年11月6日
唐国が
【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年九月壬辰条】朝散大夫 沂州司馬 上柱国 劉徳高ら割注に「等とは、右戎衛(ゆうじゅうえい)郎将(ろうしょう)上柱国百済禰軍・朝散大夫上柱国郭務悰をいう。凡そ二百五十四人。七月二十八日に対馬に至り、九月二十日に筑紫に至り、二十二日に表函を進上した」とある。を遣わす。 -
(669年2月6日 ~ 670年1月26日)
大唐の使者として二千余人を率いて来日する。
【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年是歳条】 -
671年12月16日
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672年4月20日
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672年4月23日
再拝して
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年三月壬子条】書函 と信物 を奉る。 -
672年6月12日
大海人皇子から
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年五月壬寅条】甲 ・冑 ・弓矢・絁 一千六百七十三匹・布二千八百五十二端・綿六百六十六斤を賜る。 -
672年6月30日
帰途に就く。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年五月庚申条】
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