沙宅孫登 名前 沙宅孫登【日本書紀】(さたくそんとう) 孫登【日本書紀】(そんとう) 生年月日( ~ 660年8月24日) 没年月日(671年12月16日 ~ ) 出来事 660年8月24日 百済王義慈らと共に蘇定方に捕まる。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年十月条】 671年12月16日 対馬国司が使いを筑紫大宰府に遣わして言うには「今月の二日に沙門道久・筑紫君薩野馬・韓島勝娑婆・布師首磐の四人が唐からやってきて言うには『唐国の使人郭務悰ら六百人、送使沙宅孫登ら千四百人。合わせて二千人が船四十七隻に乗って比智島(ひちしま)に停泊しました。語り合って、今我々の人や船の数は多い。急に向こうに着けば恐らく防人が驚いて射かけてくるであろう。そこで道久らを遣わして、予め来朝する意を明かにするため陳情します』と申しております」と。 【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年十一月癸卯条】