劉徳高

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名前
  • 劉德高【日本書紀】(りゅうとくこう, りうとくかう)劉徳高
生年月日
( ~ 665年11月6日)
没年月日
(666年1月24日 ~ )
出来事
  • (665年1月22日 ~ 666年2月9日)

    来日する。

    【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条 伊吉博得言】
  • 665年11月6日

    唐国が朝散大夫(ちょうさんたいふ)沂州司馬(きしゅうのしば)上柱国(しょうちゅうこく)劉徳高割注に「等とは、右戎衛(ゆうじゅうえい)郎将(ろうしょう)上柱国百済禰軍・朝散大夫上柱国郭務悰をいう。凡そ二百五十四人。七月二十八日に対馬に至り、九月二十日に筑紫に至り、二十二日に表函を進上した」とある。を遣わす。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年九月壬辰条】
  • 665年12月25日

    中大兄皇子が劉徳高らに饗応する。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年十一月辛巳条】
  • 666年1月24日

    中大兄皇子が劉徳高らに物を賜る。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年十二月辛亥条】
  • 666年(1月11日 ~ 2月9日)

    帰途に就く。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇四年十二月是月条】