大津皇子

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名前
  • 大津皇子【日本書紀】(おおつのみこ, おほつ
性別
男性
生年月日
天智天皇2年
没年月日
天武天皇15年10月3日
  • 天武天皇てんむてんのう【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
  • 大田皇女おおたのひめみこ【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
先祖
  1. 天武天皇
    1. 舒明天皇
      1. 押坂彦人大兄皇子
      2. 糠手姫皇女
    2. 皇極天皇
      1. 茅渟王
      2. 吉備姫王
  2. 大田皇女
    1. 天智天皇
      1. 舒明天皇
      2. 皇極天皇
    2. 遠智娘
      1. 蘇我倉山田石川麻呂
      2. unknown
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 浄大弐じょうだいに【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年正月丁卯条】
出来事
  • 天武天皇元年6月(24日 ~ 25日)

    吉野で決起した大海人皇子の召集に応じるも、鈴鹿関司(すずかのせきのつかさ)山部王石川王と誤認されて足止めを食う。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】
  • 天武天皇元年6月26日

    大海人皇子の命を受けた路益人に従い、朝明郡(あさけのこおり)迹太川(とおかわ)のほとりで大海人皇子一行と合流する。
    大分君恵尺難波吉士三綱駒田勝忍人山辺君安摩呂小墾田猪手泥部眡枳大分君稚臣根連金身漆部友背らも従っていた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • 天皇皇后及び草壁皇子尊・大津皇子・高市皇子河島皇子忍壁皇子芝基皇子に詔して「朕は今日お前たちと共に朝廷で誓い、千年の後まで無事であって欲しいと思うがどうか」と。
    皇子たちは共に「ごもっともでございます」と答えた。

    そして草壁皇子尊が先ず進んで誓った。

    五皇子も次々に誓った。

    その後に天皇が言うには「朕の男子たちはそれぞれ異なる腹から生まれている。しかし皆同じ母から産まれているかのようで愛おしい」と。
    そして衣の襟を開いてその六皇子を抱いた。
    そして誓って言うには「もしこの誓いを違えれば、たちまち朕の身は亡ぶであろう」と。

  • 天武天皇8年5月10日

    六皇子が共に大殿の前で天皇に拝礼する。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年五月己丑条】
  • 天武天皇9年7月20日

    高市皇子と共に、飛鳥寺の僧弘聴を弔う。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇九年七月癸巳条】
  • 天武天皇12年2月1日

    が初めて朝廷の政務を執る。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十二年二月己未朔条】
  • 天武天皇14年1月21日

    浄大弐を授位される。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年正月丁卯条】
  • 朱鳥元年8月13日

    食封四百戸を加えられる。

    【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年八月辛巳条】
  • 朱鳥元年9月9日

    天武天皇が崩御する。

    【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月丙午条】
  • 朱鳥元年9月24日

    皇太子の草壁皇子に謀反を企てる。

    【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月辛酉条】
  • 朱鳥元年10月2日

    謀反が発覚して逮捕される。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇即位前紀 朱鳥元年十月己巳条】
  • 朱鳥元年10月3日

    皇子大津は訳語田(おさた)の家で死を賜った。時に年二十四。

    妃の皇女山辺は髪を乱して裸足で走り出して殉じた。これを見た者は皆すすり泣いた。

    皇子大津は天渟中原瀛真人天皇天武天皇。の第三子である。
    威儀があり、言語明朗で天命開別天皇天智天皇。に愛された。
    成長するに及び才学に優れ、文筆を最も愛した。詩賦の興りは大津から始まった。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇即位前紀 朱鳥元年十月庚午条】