大分恵尺 名前 氏(ウジ):大分【日本書紀】(おおきだ, おほきだ) 姓(カバネ):君【日本書紀】(きみ) 名:惠尺【日本書紀】(えさか, ゑさか)恵尺 生年月日( ~ 天武天皇元年6月24日) 没年月日天武天皇元年6月(26日 ~ 29日) 称号・栄典とても広〜い意味です。外小紫【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 出来事 天武天皇元年6月24日 大海人皇子が大分君恵尺・黄書造大伴・逢臣志摩らを留守司高坂王のもとに遣わして駅鈴を求めさせた。 そして恵尺らに言うには「もし鈴を得られなければ志摩は帰還して報告せよ。恵尺は急いで近江に行って高市皇子・大津皇子を呼んで伊勢で合流せよ」と。 恵尺らは留守司のもとに行き、東宮の命を告げて駅鈴を高坂王に求めたが許されなかった。 恵尺は近江に行った。 志摩は帰還し復命して「鈴は得られませんでした」と。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 天武天皇元年6月(24日 ~ 25日) 大津皇子と合流して合流の直接的な記載は無いのであくまで推測。伊勢に向う途中、鈴鹿関(すずかのせき)で足止めを食う。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 天武天皇元年6月26日 大海人皇子の命を受けた路益人に従い、朝明郡(あさけのこおり)の迹太川(とおかわ)のほとりで大海人皇子一行と合流する。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 天武天皇元年6月26日 大分君恵尺が病にかかって死期が迫った。 天皇は大いに驚いて詔して「恵尺よ。お前は自分を捨てて公に向い、身命を惜しまなかった。雄々しい心を持って大戦壬申の乱。で戦功を立てた。常にお前のことを思っていたが、お前がもし死んでしまっても子孫を厚く賞する」と。 そして外小紫の位に上げた。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】