大分恵尺

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 氏(ウジ):大分【日本書紀】(おおきだ, おほだ)
  • 姓(カバネ):君【日本書紀】
  • 名:惠尺【日本書紀】(えさか, ゑさか)恵尺
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月24日)
没年月日
天武天皇元年6月(26日 ~ 29日)
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 外小紫【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
出来事
  • 天武天皇元年6月24日

    大海人皇子が大分君恵尺・黄書造大伴逢臣志摩らを留守司高坂王のもとに遣わして駅鈴を求めさせた。
    そして恵尺らに言うには「もし鈴を得られなければ志摩は帰還して報告せよ。恵尺は急いで近江に行って高市皇子大津皇子を呼んで伊勢で合流せよ」と。

    恵尺らは留守司のもとに行き、東宮の命を告げて駅鈴を高坂王に求めたが許されなかった。
    恵尺は近江に行った。
    志摩は帰還し復命して「鈴は得られませんでした」と。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】
  • 天武天皇元年6月(24日 ~ 25日)

    大津皇子と合流して合流の直接的な記載は無いのであくまで推測。伊勢に向う途中、鈴鹿関(すずかのせき)で足止めを食う。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】
  • 天武天皇元年6月26日

    大海人皇子の命を受けた路益人に従い、朝明郡(あさけのこおり)迹太川(とおかわ)のほとりで大海人皇子一行と合流する。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • 天武天皇元年6月26日

    大分君恵尺が病にかかって死期が迫った。
    天皇は大いに驚いて詔して「恵尺よ。お前は自分を捨てて公に向い、身命を惜しまなかった。雄々しい心を持って大戦壬申の乱。で戦功を立てた。常にお前のことを思っていたが、お前がもし死んでしまっても子孫を厚く賞する」と。
    そして外小紫の位に上げた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】