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- 名前
- 高市皇子【日本書紀】(たけちのみこ)
- 高市皇子命【日本書紀】(たけちのみこのみこと)
- 高市王【新撰姓氏録抄】(たけちのみこ)
- キーワード
- 後裔は左京
高階真人 ・右京豊野真人 ・左京永原朝臣 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 後皇子尊 【日本書紀 巻第三十 持統天皇十年七月庚戌条】
- 後裔は左京
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 天武天皇元年6月25日)
- 没年月日
- 持統天皇10年7月10日
- 父
天武天皇 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
- 母
尼子娘 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 称号・栄典
- 出来事
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天武天皇元年6月25日
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天武天皇元年6月26日
不破の軍事を監督するよう命じられる。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 -
天武天皇元年6月(26日 ~ 27日)
高市皇子は使いを
桑名郡家 に遣わして言うには「御所から遠くては政を行うには甚だ不便です。近い所においで頂きたい」と。野上 に至り、高市皇子が和蹔 より迎えて言うには「昨夜、近江朝から駅使が参りました。伏兵を用いて捕えてみると書直薬・忍坂直大麻呂でした。何処へ行くかを問うと、答えて『吉野においでの大皇弟を討つ為、東国の軍を集めに遣わされた韋那公磐鍬の仲間です。しかし磐鍬は伏兵を見て逃げ帰りました』と言いました」と。天皇が高市皇子に言うには「その近江朝では左右の大臣と智謀に富む群臣が協議するが、朕には共に計画を立てる者はいない。ただ若い子供がいるだけである。どうしたものか」と。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丁亥条】
皇子は腕をまくり、剣を按じて言うには「近江の群臣は多いといえども、どうして天皇の霊威に逆らえましょうか。天皇が独りでいらっしゃっても、臣高市が神祇の霊威を頼り、天皇の命を受け、諸将を率いて征討すれば防ぐことは出来ません」と。
天皇は誉めて、手を取り背を撫でて「決して怠るなよ」と言った。
そして鞍馬を賜り、全ての軍事を授けた。
皇子は和蹔に帰った。 -
天武天皇元年6月29日
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天武天皇元年7月23日
大友皇子が自縊する。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】 -
天武天皇元年8月25日
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天武天皇8年5月6日
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天武天皇8年5月10日
六皇子が共に大殿の前で天皇に拝礼する。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年五月己丑条】 -
天武天皇9年7月20日
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天武天皇11年7月9日
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天武天皇14年1月21日
浄広弐を授位される。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年正月丁卯条】 -
朱鳥元年1月2日
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朱鳥元年8月13日
食封四百戸を加えられる。
【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年八月辛巳条】 -
朱鳥元年9月9日
天武天皇が崩御する。
【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月丙午条】 -
持統天皇4年7月5日
太政大臣となる。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年七月庚辰条】 -
持統天皇4年10月29日
公卿・百寮を従えて藤原の宮地を視察する。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月壬申条】 -
持統天皇5年1月13日
食封二千戸を加増され、以前の分と合わせて三千戸となる。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇五年正月乙酉条】 -
持統天皇6年1月4日
食封二千戸を加増され、以前の分と合わせて五千戸となる。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇六年正月庚午条】 -
持統天皇7年1月2日
浄広壱を授位される。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇七年正月壬辰条】 -
持統天皇10年7月10日
薨御。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇十年七月庚戌条】
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