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- 名前
- 草壁皇子【日本書紀】(くさかべのみこ)
- 草壁皇子尊【日本書紀】(くさかべのみこのみこと)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 天智天皇元年
- 没年月日
- 持統天皇3年4月13日
- 父
天武天皇 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
- 母
持統天皇 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇二年二月癸未条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 称号・栄典
浄広壱 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年正月丁卯条】
- 出来事
-
天智天皇元年
大津宮で誕生する。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇即位前紀 天智天皇元年条】 -
天武天皇元年6月24日
吉野に隠棲していた父大海人皇子の決起に従う。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 -
天武天皇2年2月27日
-
天武天皇8年5月6日
天皇は皇后及び草壁皇子尊・大津皇子・高市皇子・河島皇子・忍壁皇子・芝基皇子に詔して「朕は今日お前たちと共に朝廷で誓い、千年の後まで無事であって欲しいと思うがどうか」と。
皇子たちは共に「ごもっともでございます」と答えた。そして草壁皇子尊が先ず進んで誓って「天神地祇及び天皇よ、明らかにしたまえ。我々兄弟長幼あわせて十余の王は、それぞれ異なる腹より出ております。しかし同異を分けず、共に天皇の勅に従います。互いに助け合い、反目することは無いでしょう。もし今後この誓いに背く者があれば、身を亡ぼし、子孫は絶えることでしょう。決して忘れず、誤りません」と。
五皇子も次々に誓った。
その後に天皇が言うには「朕の男子たちはそれぞれ異なる腹から生まれている。しかし皆同じ母から産まれているかのようで愛おしい」と。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年五月乙酉条】
そして衣の襟を開いてその六皇子を抱いた。
そして誓って言うには「もしこの誓いを違えれば、たちまち朕の身は亡ぶであろう」と。 -
天武天皇8年5月10日
六皇子が共に大殿の前で天皇に拝礼する。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年五月己丑条】 -
天武天皇9年11月16日
僧恵妙の病を見舞う。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇九年十一月丁亥条】 -
天武天皇10年2月25日
-
天武天皇10年10月20日
新羅が金・銀・霞錦・幡・皮など数多くの物を献上する。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十年十月乙酉条】 -
天武天皇11年7月9日
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天武天皇14年1月21日
浄広壱を授位される。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年正月丁卯条】 -
天武天皇14年9月
皇太子以下、忍壁皇子に至るまで、それぞれに布が下賜される。
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年九月壬子条】 -
天武天皇14年9月19日
皇太子以下、及び諸王・卿、合わせて四十八人に
【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年九月壬戌条】羆 の皮と山羊 皮が下賜される。 -
朱鳥元年8月13日
食封四百戸を加えられる。
【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年八月辛巳条】 -
朱鳥元年9月9日
天武天皇が崩御する。
【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月丙午条】 -
朱鳥元年9月24日
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朱鳥元年10月2日
-
朱鳥元年10月3日
大津皇子が
【日本書紀 巻第三十 持統天皇即位前紀 朱鳥元年十月庚午条】訳語田 の家で死を賜る。 -
朱鳥元年12月19日
天武天皇の為の
【日本書紀 巻第三十 持統天皇即位前紀 朱鳥元年十二月乙酉条】無遮大会 を大官 ・飛鳥 ・川原 ・小墾田豊浦 ・坂田 の五寺に設けられる。 -
持統天皇元年1月1日
公卿・百寮を率いて殯宮に詣でて慟哭する。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇元年正月丙寅朔条】 -
持統天皇元年1月5日
公卿・百寮を率いて殯宮に詣でて慟哭する。梵衆も従って発哀した。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇元年正月庚午条】 -
持統天皇元年5月22日
公卿・百寮を率いて殯宮に詣でて慟哭する。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇元年五月乙酉条】 -
持統天皇元年10月22日
公卿・百寮、あわせて諸国の国司・国造、及び人民の男女を率いて
【日本書紀 巻第三十 持統天皇元年十月壬子条】大内陵 の築造を開始する。 -
持統天皇2年1月1日
公卿・百寮を率いて殯宮に詣でて慟哭する。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇二年正月庚申朔条】 -
持統天皇2年11月4日
公卿・百寮と諸蕃の賓客を率いて、殯宮に詣でて慟哭する。
奠を奉り、
【日本書紀 巻第三十 持統天皇二年十一月戊午条】楯節儛 を奏した。
諸臣はそれぞれ己の先祖が仕えてきた事を挙げ、互いに進み出て誄した。 -
持統天皇3年4月13日
薨御。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年四月乙未条】
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