大分稚臣

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名前
  • 氏(ウジ):大分【日本書紀】(おおきだ, おほだ)
  • 姓(カバネ):君【日本書紀】
  • 名:稚臣【日本書紀】(わか
  • 名:稚見【日本書紀】(わか
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月26日)
没年月日
天武天皇8年3月6日
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 贈:小錦上しょうきんじょう(外位)【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年三月丙戌条】
出来事
  • 天武天皇元年6月26日

    大津皇子に同行し、朝明郡(あさけのこおり)迹太川(とおかわ)のほとりで大海人皇子一行と合流する。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • 天武天皇元年7月22日

    村国男依らと共に瀬田(せた)に至る。

    時に大友皇子は群臣らと共に橋の西に大きな陣営を構えた。その後方が見えない程であった。

    旗旘(はた)は野を隠し、埃塵(ちり)は天に連なった。
    鉦鼓(かねつづみ)の音は数十里先まで聞こえ、弩の列からは雨のように矢が乱発された。
    その将智尊は精兵を率いて先鋒として防いだ。
    そして橋の中を三丈ばかり切断して長板を置き、もしも板を踏んで渡ろうとする者あれば板を引いて落そうとした。
    こにより進撃出来ずにいた。

    有勇な士がいて大分君稚臣といった。
    長矛を棄てて(よろい)を重ね着すると、刀を抜いて急いで板を踏んで渡った。
    そして板に繋がった綱を斬り、矢を受けながら陣に突入した。

    軍勢は乱れて逃走した。
    将軍智尊は刀を抜き、退く者を斬ったが止めることは出来なかった。
    智尊は橋の側で斬られた。

    大友皇子の大臣らは辛うじて身を免れて逃げた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛亥条】
  • 天武天皇8年3月6日

    死去。
    壬申年の大役に当り、先鋒となって瀬田の軍営を破った功により外小錦上の位を追贈される。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇八年三月丙戌条】