村国男依

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名前
  • 氏(ウジ):村國【日本書紀】(むらくに)村国
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:男依【日本書紀】(おより, をり)
  • 名:雄依【日本書紀】(おより, をり)
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月22日)
没年月日
(天武天皇5年7月1日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 贈:小紫しょうし(内位)【日本書紀 巻第二十九 天武天皇五年七月是月条】
出来事
  • 天武天皇元年6月22日

    大海人皇子が村国連男依・和珥部臣君手身毛君広に詔して「聞けば近江朝の群臣は私を殺そうとしている。お前たち三人は速やかに美濃国に行き、安八磨郡(あはちまのこおり)湯沐令(ゆのうながし)多臣品治に機密を告げ、まずその郡の兵を集めよ。そして国司たちに知らせて軍勢を発し、速やかに不破道(ふわのみち)を塞げ。私もすぐ出発する」と。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月壬午条】
  • 天武天皇元年6月26日

    復命して「美濃の兵三千人を興して不破道を塞ぐことが出来ました」と奏上し、大海人皇子にその功を褒められる。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • 天武天皇元年7月2日

    大海人皇子の命令で書根麻呂和珥部君手胆香瓦安倍と共に数万の軍勢を率いて不破から出て真っ直ぐ近江に向う。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛卯条】
  • 天武天皇元年7月7日

    近江軍と息長(おきなが)横河(よこかわ)で戦って破り、その将境部薬を斬る。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月丙申条】
  • 天武天皇元年7月9日

    近江の将秦友足鳥籠山(とこのやま)で斬る。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月戊戌条】
  • 天武天皇元年7月13日

    安河(やすかわ)のほとりで近江軍を大いに破り、社戸大口土師千島を捕える。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬寅条】
  • 天武天皇元年7月17日

    栗太(くるもと)の軍を追討する。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月丙午条】
  • 天武天皇元年7月22日

    男依らが瀬田(せた)に至る。

    時に大友皇子は群臣らと共に橋の西に大きな陣営を構えた。その後方が見えない程であった。

    旗旘(はた)は野を隠し、埃塵(ちり)は天に連なった。
    鉦鼓(かねつづみ)の音は数十里先まで聞こえ、弩の列からは雨のように矢が乱発された。
    その将智尊は精兵を率いて先鋒として防いだ。
    そして橋の中を三丈ばかり切断して長板を置き、もしも板を踏んで渡ろうとする者あれば板を引いて落そうとした。
    こにより進撃出来ずにいた。

    有勇な士がいて大分君稚臣といった。
    長矛を棄てて(よろい)を重ね着すると、刀を抜いて急いで板を踏んで渡った。
    そして板に繋がった綱を斬り、矢を受けながら陣に突入した。

    軍勢は乱れて逃走した。
    将軍智尊は刀を抜き、退く者を斬ったが止めることは出来なかった。
    智尊は橋の側で斬られた。

    大友皇子の大臣らは辛うじて身を免れて逃げた。

    男依らは粟津岡(あわづのおか)の下に軍を置いた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛亥条】
  • 天武天皇5年7月

    卒去。
    壬申年の功により外小紫の位を追贈される。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇五年七月是月条】