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天武天皇元年6月22日
大海人皇子が村国連男依・和珥部臣君手・身毛君広に詔して「聞けば近江朝の群臣は私を殺そうとしている。お前たち三人は速やかに美濃国に行き、安八磨郡(あはちまのこおり)の湯沐令(ゆのうながし)多臣品治に機密を告げ、まずその郡の兵を集めよ。そして国司たちに知らせて軍勢を発し、速やかに不破道(ふわのみち)を塞げ。私もすぐ出発する」と。