多品治

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名前
  • 氏(ウジ):多【日本書紀】(おお, おほ)
  • 姓(カバネ):朝臣【日本書紀】(あ
  • 氏(ウジ):多【日本書紀】(おお, おほ)
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:品治【日本書紀】(ほんじ, ほむぢ)
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月22日)
没年月日
(持統天皇10年8月25日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 小錦下しょうきんげ【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十二年十二月丙寅条】
  • 直広壱じきこういち【日本書紀 巻第三十 持統天皇十年八月甲午条】
出来事
  • 天武天皇元年6月22日

    大海人皇子村国男依和珥部君手身毛広に詔して「聞けば近江朝の群臣は私を殺そうとしている。お前たち三人は速やかに美濃国に行き、安八磨郡(あはちまのこおり)湯沐令(ゆのうながし)多臣品治に機密を告げ、まずその郡の兵を集めよ。そして国司たちに知らせて軍勢を発し、速やかに不破道(ふわのみち)を塞げ。私もすぐ出発する」と。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月壬午条】
  • 天武天皇元年7月2日

    大海人皇子の命令で紀阿閉麻呂三輪子首置始菟と共に数万の軍勢を率いて伊勢の大山を越えて(やまと)に向う。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛卯条】
  • (天武天皇元年7月2日 ~ )

    三千の軍勢を率いて莿荻野(たらの)に駐屯することを命じられる。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛卯条】
  • 天武天皇元年7月6日

    田辺小隅莿荻野(たらの)の陣営を急襲した。
    将軍多臣品治がこれを防ぎ、精兵を以って追撃した。
    小隅は難を逃れたが、以後現れることはなかった。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月乙未条】
  • 天武天皇12年12月13日

    天武天皇から、伊勢王羽田八国中臣大島判官(まつりごとひと)録史(ふびと)工匠(たくみ)らと共に、天下を巡行して諸国の境界を区分するよう命じられる。
    しかしこの年に区分は終らなかった。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十二年十二月丙寅条】
  • 天武天皇14年9月18日

    天武天皇から衣と袴を賜る。

    【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年九月辛酉条】
  • 持統天皇10年8月25日

    持統天皇から、元より従った功と、関を堅守した事を褒められる。
    直広壱を授位され、あわせて物を賜る。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇十年八月甲午条】