眉輪王
- 名前
- 眉輪王【日本書紀】(まよわのおおきみ, まよわのおほきみ, まよわのみこ)
- 目弱王【古事記】(まよわのみこ)
- 生年月日
- ( ~ 安康天皇元年2月1日)
- 没年月日
- 安康天皇3年8月9日
- 父
大草香皇子 【日本書紀 巻第十三 安康天皇二年正月己酉条】
- 母
中蒂姫命 【日本書紀 巻第十三 安康天皇二年正月己酉条】
- 先祖
- 出来事
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安康天皇元年2月1日
-
安康天皇2年1月17日
母の中蒂姫命が皇后に立てられる。
眉輪王は母のために罪を免れて常に宮中で養育された。
【日本書紀 巻第十三 安康天皇二年正月己酉条】 -
安康天皇3年8月9日【日本書紀 巻第十三 安康天皇三年八月壬辰条】
穴穂天皇安康天皇は沐浴するために山の宮に巡幸した。
楼 に登って眺め渡した。それから命じて酒宴を開いた。
そして心が和らいで楽しさが極まって語り出し、そっと皇后に言うには「妻よ原文『吾妹』。注釈に『妻を妹というのは、古のならわしだろうか』とある。。お前は睦まじいのだが、朕は眉輪王を恐れている」と。眉輪王は幼年で楼の下で遊び戯れていたが、この話をすべて聞いてしまった。
そのうち穴穂天皇は皇后の膝を枕にして昼寝をした。
そこで眉輪王はその熟睡を伺って天皇を刺し殺してしまった。この日に大舎人姓名不明とある。が急ぎ走って天皇後の雄略天皇を指す。に「穴穂天皇が眉輪王に殺されました」と言った。
天皇は大いに驚いた。
そして自分の兄弟を疑って甲 をかぶり太刀を佩くと、兵を率いて八釣白彦皇子を問い詰めた。
皇子は害が及ぶと感じて座ったまま語らなかった。
天皇は抜刀して斬った。また坂合黒彦皇子を問い詰めた。
皇子もまた害が及ぶことを知って座ったまま語らなかった。
天皇の怒りはさらに強まった。またあわせて眉輪王も殺そうと思って罪を調べて問うた。
眉輪王は「私はもとより皇位を望んではおりません。ただ父の仇を報いただけでございます」と言った。坂合黒彦皇子は深く疑われることを恐れて密かに眉輪王に語った。
遂に人がいなくなった隙を見て外に出ると、共に円大臣の家に逃げ込んだ。天皇は使いを遣わした。
大臣が使いを出して答えて言うには「人臣に事あるときに王宮に逃げ込むということは聞きますが、君王が臣の家に隠れるということは聞いたことがございません。まさに今、坂合黒彦皇子と眉輪王が深く私の心をたのみとして私の家にいらっしゃいました。どうして送り出すことが出来ましょうか」と。これにより天皇は益々兵を増やして大臣の家を囲んだ。
大臣は庭に出て脚帯 袴の裾をくくる紐。を求めた。
大臣の妻は脚帯を持ってくると悲しみ傷ついて歌を詠んだ。「
飫 瀰 能 古 簸 多 倍 能 波 伽 摩 嗚 那 那 陛 嗚 絁 儞 播 儞 陀 陀 始 諦 阿 遙 比 那 陀 須 暮 」
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇即位前紀 安康天皇三年八月条】
大臣は装いを済ませて軍門に進み出て拝礼して言うには「私は誅されようとも、あえて命を承ることはございません。古の人は云います。『匹夫の志も奪うことは難しい』と。まさに今の私に当たります。伏してお願い申し上げます。大王、我が女 の韓媛と葛城の領地七ヶ所を献上することで、罪を贖うことをお聞き入れ下さい」と。
天皇は許さずに火をつけて家を焼いた。
大臣・黒彦皇子・眉輪王は共に焼け死んだ。-
天皇が神牀で昼寝をしている時、その后に「お前は心配ごとはあるか」と語ると、「天皇の厚い御寵愛を頂いております。何を心配することがございましょうか」と答えた。
その大后の先の子の目弱王大日下王との間の子。はこの年七歳だった。
この王はその時にあたり御殿の下で遊んでいた。
天皇がその幼い王が御殿の下で遊んでいることを知らずに言うには「自分には常に心配していることがある。何かというと、お前の子の目弱王のことだ。成人して私がその父王を殺したことを知ったら、心が変わって邪心を起こすのではないかと」と。
その御殿の下で遊んでいた目弱王はこの言葉を聞いて、密かに天皇の寝ているところを伺い、傍にある大刀を取って天皇の首を斬って都夫良意富美の家に逃げ入った。
大長谷王子後の雄略天皇。はこのとき童男だったが、この事を聞くと憤慨して、その兄の黒日子王のもとに行って「人が天皇を殺しました。どうしましょう」と言った。
しかしその黒日子王は驚くこともなく、気にもしなかった。
そこで大長谷王はその兄を罵って「一つには天皇。一つには兄弟。なぜ恃む心もなく、その兄が殺されたと聞いても驚かずに怠慢でいられるのか」と言うと、その襟首を掴んで引きずり出して、刀を抜いて打ち殺した。またその兄の白日子王に前と同じように状況を告げると、また黒日子王と同じように怠慢だった。
それでその襟首を掴んで引いて小治田 に着くと、穴を掘って立ったままの状態で埋めた。
腰まで埋めた時に両目が飛び出て死んだ。また軍を興して都夫良意美の家を囲んだ。
【古事記 下巻 安康天皇段】
都夫良意美も軍を興して応戦し、矢が葦の花のように飛び散った。
大長谷王が矛を杖にして家の中を伺って「私が言い交わした少女は、もしやこの家にいるのか」と言った。
都夫良意美はこの言葉を聞くと自ら出てきて、武器を外して八度拝んで言うには「先日妻問いなされた女 の訶良比売はお仕え致しましょう。また五ヶ所の屯宅 を献上致します(所謂五村の屯宅は、今の葛城の五村の苑人 のことである)。しかし私が参上しない理由は、昔から今に至るまで、臣下が王宮に隠れることは聞きますが、王子が臣下の家に隠れることは聞きません。このことから思いますに、賤しい私めが力を尽くして戦っても勝つことなど無いでしょう。しかし私を頼って家にお入りになった王子は死んでもお見捨てすることはございません」と。
このように言うと、またその武器を取り、帰って戦った。
力尽き、矢も尽き、その王子に言うには「私はすっかり傷付き、また矢も尽きました。今はもう戦うことは出来ません。いかがなさいましょう」と。
その王子が答えて言うには「それならば為す術もない。今すぐ私を殺してくれ」と。
それでその王子を刀で刺し殺し、自分の首を切って死んだ。
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