中蒂姫命

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名前
  • 中蒂姬命【日本書紀】(なかし)中蒂姫命
  • 中蒂姫【日本書紀】(なかし
  • 中磯皇女【日本書紀】(なかし
  • 中城皇女【先代旧事本紀】(なか)中城皇女
  • 中蒂姬皇女【日本書紀】(なかし)中蒂姫皇女
  • 長田大娘皇女【日本書紀】(ながたのおおいらつめのひめみこ, ながたおほいらつ
  • 長田皇女【日本書紀】(ながた
  • 長田大郞女【古事記】(ながたのおおいらつめ, ながたおほいらつ)長田大郎女
性別
女性
生年月日
( ~ 安康天皇元年2月1日)
没年月日
(安康天皇3年8月9日 ~ )
  • 履中天皇りちゅうてんのう【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 草香幡梭皇女くさかのはたひのひめみこ【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
先祖
  1. 履中天皇
    1. 仁徳天皇
      1. 応神天皇
      2. 仲姫命
    2. 磐之媛命
      1. 葛城襲津彦
      2. unknown
  2. 草香幡梭皇女
配偶者
  • 大草香皇子おおくさかのみこ【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】
  • 安康天皇あんこうてんのう【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】
  • 眉輪王まよわのおおきみ目弱王まよわのみこ【日本書紀 巻第十三 安康天皇二年正月己酉条】【父:大草香皇子おおくさかのみこ
出来事
  • 履中天皇の皇女として生まれる。母は草香幡梭皇女

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 安康天皇元年2月1日

    安康天皇大泊瀬皇子後の雄略天皇。のために、大草香皇子の妹の幡梭皇女を妻合わせたいと思った。
    そこで坂本臣(さかもとのおみ)の祖根使主を遣わして大草香皇子に言うには「幡梭皇女を頂いて、大泊瀬皇子に妻合わせたいと思う」と。
    大草香皇子が答えて言うには、「私はこの頃重い病を患って治りません。たとえば物を積んだ船が満ち潮を待つようなものでございます。しかし死ぬのは天命でございます。どうして惜しむに足りましょうか。ただ妹の幡梭皇女が孤児になるので、容易く死ねないのでございます。いま陛下がその醜さをお嫌いになられず、宮廷の女性の仲間にお入れ頂きました。これは甚だ大きな恩恵でございます。どうしてかたじけないお言葉を辞することが出来ましょうか。それで真心を表すために、私の宝の押木珠縵(おしきのたまかずら)(あるいは立縵(たちかずら)という。また磐木縵(いわきのかずら)ともいう)を捧げて、お使いの根使主に預けて奉ります。どうか賤しく軽々しいといえども、お納め頂き、契りの印として頂きたく存じます」と。
    根使主は押木珠縵を見て、その美しさに感動した。そこで偽って宝を自分の物にしようとした。
    そして偽って天皇に奏上して「大草香皇子は命を承らず、私めに『同族といえども、どうして我が妹を差し出すことが出来ようか』と言いました」と言うと、縵を己の物にして献上しなかった。
    天皇は根使主の讒言を信じて激怒し、兵を起こして大草香皇子の家を囲んで殺した。

    ここに大草香皇子の妻の中蒂姫を宮中に召し入れて妃とした。
    また遂に幡梭皇女を召して大泊瀬皇子に妻合わせた。

    【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】
    • 天皇は同母弟の大長谷王子後の雄略天皇。のために、坂本臣(さかもとのおみ)らの祖の根臣大日下王のもとに遣わして「あなた様の妹の若日下王大長谷王子を結婚させたいと思うので奉りなさい」と詔した。
      大日下王が四度拝んで言うには「もしやこのような大命もあるのではないかと存じておりました。それで外出させずに置いておりました。これは恐れ多いことです。大命に従って奉ります」と。
      しかし言葉だけでは無礼であると思い、その妹の礼物として押木(おしき)玉縵(たまかずら)を持たせて献上した。
      根臣はその礼物である玉縵を盗み取り、大日下王のことを讒言して「大日下王は勅命を受けずに、『私の妹は同族の下敷きにはならない』とおっしゃって、大刀の柄を握ってお怒りになりました」と。
      それで天皇は激怒して大日下王を殺し、その王の嫡妻の長田大郎女を奪って皇后とした。

      【古事記 下巻 安康天皇段】
  • 安康天皇2年1月17日

    安康天皇の皇后となる。

    【日本書紀 巻第十三 安康天皇二年正月己酉条】
  • 安康天皇3年8月9日【日本書紀 巻第十三 安康天皇三年八月壬辰条】

    穴穂天皇安康天皇は沐浴するために山の宮に巡幸した。

    (たかどの)に登って眺め渡した。それから命じて酒宴を開いた。
    そして心が和らいで楽しさが極まって語り出し、そっと皇后に言うには「妻よ原文『吾妹』。注釈に『妻を妹というのは、古のならわしだろうか』とある。。お前は睦まじいのだが、朕は眉輪王を恐れている」と。

    眉輪王は幼年で楼の下で遊び戯れていたが、この話をすべて聞いてしまった。

    そのうち穴穂天皇は皇后の膝を枕にして昼寝をした。
    そこで眉輪王はその熟睡を伺って天皇を刺し殺してしまった。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇即位前紀 安康天皇三年八月条】
    • 天皇が神牀で昼寝をしている時、その后に「お前は心配ごとはあるか」と語ると、「天皇の厚い御寵愛を頂いております。何を心配することがございましょうか」と答えた。

      その大后の先の子の目弱王大日下王との間の子。はこの年七歳だった。
      この王はその時にあたり御殿の下で遊んでいた。
      天皇がその幼い王が御殿の下で遊んでいることを知らずに言うには「自分には常に心配していることがある。何かというと、お前の子の目弱王のことだ。成人して私がその父王を殺したことを知ったら、心が変わって邪心を起こすのではないかと」と。
      その御殿の下で遊んでいた目弱王はこの言葉を聞いて、密かに天皇の寝ているところを伺い、傍にある大刀を取って天皇の首を斬って都夫良意富美の家に逃げ入った。

      【古事記 下巻 安康天皇段】
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