草香幡梭姫皇女
- 名前
- 草香幡梭姬皇女【日本書紀】(くさかのはたひひめのひめみこ)草香幡梭姫皇女
- 幡梭皇女【日本書紀】(はたひのひめみこ)
- 橘姬皇女【日本書紀】(たちばなひめのひめみこ)橘姫皇女
- 橘姬校異【日本書紀】(たちばなひめ)橘姫
- 波多毘能若郞女【古事記】(はたびのわかいらつめ, はたびのわきいらつめ)波多毘能若郎女
- 長日比賣命【古事記】(ながひひめのみこと)長日比売命
- 長目比賣命校異【古事記】長目比売命
- 若日下部命【古事記】(わかくさかべのみこと)
- 若日下部王【古事記】(わかくさかべのみこ)
- 若日下王【古事記】(わかくさかのみこ)
- 播援皇女校異【先代旧事本紀】
- 性別
- 女性
- 生年月日
- ( ~ 安康天皇元年2月1日)
- 没年月日
- (雄略天皇14年4月1日 ~ )
- 父
仁徳天皇 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
- 母
日向髪長媛 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
- 先祖
- 配偶者
雄略天皇 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇元年三月壬子条】
- 出来事
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仁徳天皇が若日下部王の
【古事記 下巻 仁徳天皇段】御名代 として若日下部 を定める。 -
安康天皇元年2月1日
安康天皇は大泊瀬皇子後の雄略天皇。のために、大草香皇子の妹の幡梭皇女を妻合わせたいと思った。
そこで根使主を遣わして大草香皇子に言うには「幡梭皇女を頂いて、大泊瀬皇子に妻合わせたいと思う」と。
大草香皇子が答えて言うには、「私はこの頃重い病を患って治りません。たとえば物を積んだ船が満ち潮を待つようなものでございます。しかし死ぬのは天命でございます。どうして惜しむに足りましょうか。ただ妹の幡梭皇女が孤児になるので、容易く死ねないのでございます。いま陛下がその醜さをお嫌いになられず、宮廷の女性の仲間にお入れ頂きました。これは甚だ大きな恩恵でございます。どうしてかたじけないお言葉を辞することが出来ましょうか。それで真心を表すために、私の宝の押木珠縵 (あるいは立縵 という。また磐木縵 ともいう)を捧げて、お使いの根使主に預けて奉ります。どうか賤しく軽々しいといえども、お納め頂き、契りの印として頂きたく存じます」と。
根使主は押木珠縵を見て、その美しさに感動した。そこで偽って宝を自分の物にしようとした。
そして偽って天皇に奏上して「大草香皇子は命を承らず、私めに『同族といえども、どうして我が妹を差し出すことが出来ようか』と言いました」と言うと、縵を己の物にして献上しなかった。
天皇は根使主の讒言を信じて激怒し、兵を起こして大草香皇子の家を囲んで殺した。遂に幡梭皇女を召して大泊瀬皇子に妻合わせた。
【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】-
天皇は同母弟の大長谷王子後の雄略天皇。のために、根臣を大日下王のもとに遣わして「あなた様の妹の若日下王と大長谷王子を結婚させたいと思うので奉りなさい」と詔した。
【古事記 下巻 安康天皇段】
大日下王が四度拝んで言うには「もしやこのような大命もあるのではないかと存じておりました。それで外出させずに置いておりました。これは恐れ多いことです。大命に従って奉ります」と。
しかし言葉だけでは無礼であると思い、その妹の礼物として押木 の玉縵 を持たせて献上した。
根臣はその礼物である玉縵を盗み取り、大日下王のことを讒言して「大日下王は勅命を受けずに、『私の妹は同族の下敷きにはならない』とおっしゃって、大刀の柄を握ってお怒りになりました」と。
それで天皇は激怒して大日下王を殺した。
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雄略天皇元年3月3日
雄略天皇の皇后となる。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇元年三月壬子条】-
雄略天皇に娶られるが子は無かった。
【古事記 下巻 雄略天皇段】
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雄略天皇3年4月
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大后が
日下 にいた時、日下をまっすぐ越える道を通って河内に行幸した。
そこで山の上に登って国内を眺めると、鰹木を上げて造った家があった。
天皇はその家のことを尋ねて「その鰹木を上げて造る家は誰の家であるか」と言うと、「志幾 の大県主 の家です」と答えた。
天皇は「奴め。自分の家を天皇の御舎に似せて造っている」と言うと、すぐに人を遣わしてその家を焼かせようとした。
この時に大県主は恐怖して、頭を深く下げて言うには「奴でございますので、奴のままに不覚にも誤って造ってしまったことは恐れ多いことでございます。それで罪を贖うための贈り物を献上致します」と。
布を白い犬にかけ、鈴をつけて、自分の一族の名は腰佩という人に犬の繩を取らせて献上した。
それで火をつけることを止めた。若日下部王のもとに行幸してその犬を賜り、「この物は今日道中で得た珍しい物だ。よって妻問いの品とする」と言って贈り物とした。
若日下部王は天皇に奏上して「日に背を向けて行幸なされた事はとても恐ろしいことでございます。それで私の方から直々に参上致しましてお仕え奉ります」と。このようなことがあって宮に帰るとき、その山の坂の上に立って歌を詠んだ。
「
久 佐 加 辨 能 許 知 能 夜 麻 登 多 多 美 許 母 幣 具 理 能 夜 麻 能 許 知 碁 知 能 夜 麻 能 賀 比 爾 多 知 邪 加 由 流 波 毘 呂 久 麻 加 斯 母 登 爾 波 伊 久 美 陀 氣 淤 斐 須 惠 幣 爾 波 多 斯 美 陀 氣 淤 斐 伊 久 美 陀 氣 伊 久 美 波 泥 受 多 斯 美 陀 氣 多 斯 爾 波 韋 泥 受 能 知 母 久 美 泥 牟 曾 能 淤 母 比 豆 麻 阿 波 禮 」そしてこの歌を持たせて使いを返した。
【古事記 下巻 雄略天皇段】 -
雄略天皇5年2月
雄略天皇が葛城山で狩りをていると不思議な鳥が急に来た。
その大きさは雀のようで、長い尾が地を引きずっていた。
そして「努力努力 油断をするなという意味。」と鳴いた。しばらくして怒り狂った猪が草の中から突然現れて人を追った。狩人は木に登って恐懼した。
天皇は舎人に詔して「猛獣も人に逢っては止まる。迎え射て仕留めよ」と。
舎人は正確が臆病で、木に登って色を失い恐れ慄いた。
猪は突進して天皇に喰いつこうとした。
天皇は弓を使って仕留め、脚を上げて踏み殺した。狩りも終って舎人を斬ろうとした。
舎人は刑に臨むときに歌を詠んだ。「
野 須 瀰 斯 志 倭 我 飫 裒 枳 瀰 能 阿 蘇 麼 斯 志 斯 斯 能 宇 拖 枳 舸 斯 固 瀰 倭 我 尼 㝵 能 裒 利 志 阿 理 嗚 能 宇 倍 能 婆 利 我 曳 陀 阿 西 嗚 」
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年二月条】
皇后はこれを聞いて悲しみ、思い起して諫めた。
すると「皇后は天皇に与さずに舎人を顧みるのか」と言った。
答えて言うには「国人はみな『陛下は狩りして獣を好む』と言うでしょう。これは良くないことではないでしょうか。いま陛下が猪のことで舎人をお斬りあそばせば、陛下はたとえば狼に異なりません」と。
天皇は皇后と車に乗って帰った。
「万歳 」と叫んで言うには「楽しいなぁ。人はみな獣を狩る。朕は狩りをして良い言葉を得て帰るのだから」と。 -
天皇が長谷にある枝の茂った欅の下で酒宴を開いた時に、伊勢国の三重の采女が大御杯を捧げて献上した。
その欅の葉が落ちて大御杯の上に浮かんだ。
その采女は落葉が杯に浮かんでいることを知らずにそのまま大御酒を献上した。
天皇はその杯に浮かんだ葉を見てその采女を打ち伏せ、刀をその頸に当ててまさに斬ろうとした時、その采女が天皇に言うには「私を殺してはいけません。申し上げることがございます」と。
そして歌を詠んだ。「
麻 岐 牟 久 能 比 志 呂 乃 美 夜 波 阿 佐 比 能 比 傳 流 美 夜 由 布 比 能 比 賀 氣 流 美 夜 多 氣 能 泥 能 泥 陀 流 美 夜 許 能 泥 能 泥 婆 布 美 夜 夜 本 爾 余 志 伊 岐 豆 岐 能 美 夜 麻 紀 佐 久 比 能 美 加 度 爾 比 那 閇 夜 爾 淤 斐 陀 弖 流 毛 毛 陀 流 都 紀 賀 延 波 本 都 延 波 阿 米 袁 淤 幣 理 那 加 都 延 波 阿 豆 麻 袁 淤 幣 理 志 豆 延 波 比 那 袁 淤 幣 理 本 都 延 能 延 能 宇 良 婆 波 那 加 都 延 爾 淤 知 布 良 婆 閇 那 加 都 延 能 延 能 宇 良 婆 波 斯 毛 都 延 爾 淤 知 布 良 婆 閇 斯 豆 延 能 延 能 宇 良 婆 波 阿 理 岐 奴 能 美 幣 能 古 賀 佐 佐 賀 世 流 美 豆 多 麻 宇 岐 爾 宇 岐 志 阿 夫 良 淤 知 那 豆 佐 比 美 那 許 袁 呂 許 袁 呂 爾 許 斯 母 阿 夜 爾 加 志 古 志 多 加 比 加 流 比 能 美 古 許 登 能 加 多 理 碁 登 母 許 袁 婆 」それでこの歌を献じたので罪を許した。
ここに大后が歌を詠んだ。「
夜 麻 登 能 許 能 多 氣 知 爾 古 陀 加 流 伊 知 能 都 加 佐 爾 比 那 閇 夜 爾 淤 斐 陀 弖 流 波 毘 呂 由 都 麻 都 婆 岐 曾 賀 波 能 比 呂 理 伊 麻 志 曾 能 波 那 能 弖 理 伊 麻 須 多 加 比 加 流 比 能 美 古 爾 登 余 美 岐 多 弖 麻 都 良 勢 許 登 能 加 多 理 碁 登 母 許 袁 婆 」そして天皇が歌を詠んだ。
「
毛 毛 志 記 能 淤 富 美 夜 比 登 波 宇 豆 良 登 理 比 禮 登 理 加 氣 弖 麻 那 婆 志 良 袁 由 岐 阿 閇 爾 波 須 受 米 宇 受 須 麻 理 韋 弖 祁 布 母 加 母 佐 加 美 豆 久 良 斯 多 加 比 加 流 比 能 美 夜 比 登 許 登 能 加 多 理 碁 登 母 許 袁 婆 」この三歌は
【古事記 下巻 雄略天皇段】天語歌 である。 -
雄略天皇14年4月1日
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年四月甲午朔条】天皇は呉人をもてなそうと思い、群臣に「食事を共にするのは誰がよいだろうか」と尋ねた。群臣は皆「根使主がよいでしょう」と答えた。天皇は根使主に命じて共食者とした。そして
石上 の高抜原 で呉人と饗宴した。このとき密かに舎人を遣わして服装を見させた。舎人は復命して「根使主がつけている玉縵 玉を連ねた髪飾り。は際立って美しく、また皆がいうには『先に使いを迎えた時にもつけていた』とのことです」と言った。そこで天皇は自分でも見たいと思い、臣連に命じて、服装を饗宴の時と同じにさせて引見した。皇后は天を仰いで嘆き、涙を流して哀しんだ。天皇が「なぜ泣いているのだ」と尋ねると、皇后は座からおりて、「この玉縵は昔、私の兄大草香皇子が穴穂天皇安康天皇の勅を承り、私を陛下に奉るときに、私に贈ってくれた物です。それで根使主を疑い、不覚にも涙を流してしまいました」と答えた。天皇は聞いて驚き激怒した。根使主を深く責めると、根使主は「仰る通り私の過ちです」と答えた。天皇は「根使主は今後、子々孫々まで永久に群臣に連ねてはならぬ」と詔した。そしてまさに斬ろうとしたとき、根使主は逃げかくれて日根 に至り、稲を積んで城を造り戦ったが、官軍に殺された。天皇は司に命じて、子孫を二分し、一つを大草香部 の民として、皇后に任せた。安康天皇元年二月戊辰朔条の続き。
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