諸県牛諸井
- 名前
- 氏(ウジ):諸縣【日本書紀】(もろがた)諸県
- 姓(カバネ):君【日本書紀】(きみ)
- 名:牛諸井【日本書紀】(うしもろい, うしもろゐ)牛諸井
- 名:牛諸幷校異【日本書紀】牛諸幷
- 名:牛【日本書紀】(うし)
- 日向諸縣君牛【日本書紀】(ひむかのもろがたのきみうし)日向諸県君牛
- 日向之諸縣君牛諸【古事記】(ひむかのもろがたのきみうしもろ)日向之諸県君牛諸
- 生年月日
- ( ~ 応神天皇11年12月29日)
- 子
髪長媛 【日本書紀 巻第十 応神天皇十一年是歳条】【母:不明】
- 出来事
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応神天皇11年
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応神天皇13年3月
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日向 の諸県君牛は朝廷に仕えていたが、年既に老いて仕えることが出来なくなった。
それで申し出て本国に帰ることになった。そこで女 の髪長媛を奉った。始めて播磨に至った。時に天皇が淡路島に行幸して狩りをした。
【日本書紀 巻第十 応神天皇十三年九月中条 一云】
天皇がふと西を望むと、数十の大鹿が海に浮かんでやって来た。そして播磨の鹿子水門 に入った。
天皇は側の者に「あれはなんの大鹿だ。大海に浮かんで沢山やって来るが」と言った。
側の者も怪しみ、使いを遣わして確認させると、すべて人だった。ただ角のついた鹿の皮を衣服としていただけだった。
そこで「誰であるか」と尋ねた。答えて「諸県君牛です。年老いてお仕えすることは出来なくなりましたが、朝廷を忘れられません。それで私の女の髪長媛を奉ります」と。
天皇は喜んで、召して御船に乗せた。
時の人はその岸についたところを名付けて鹿子水門といった。
およそ水手 を鹿子 というのは、このとき初めて起ったという。
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