名前
  • 氏(ウジ):物部【日本書紀】(も
  • 姓(カバネ):連公【先代旧事本紀】(むらじ)連公
  • 名:麤鹿火【日本書紀】(あらかい, あらか)麁鹿火
  • 名:荒甲【古事記】(あらかい, あらか
  • 名:麤鹿校異【先代旧事本紀】(あらか)麁鹿
  • 名:麤火校異【先代旧事本紀】(あらい, あら)麁火
  • 物部麤鹿火大連【日本書紀】(もののべのあらかいのおおむらじ, もあらかおほむらじ)物部麁鹿火大連
  • 物部大連麤鹿火【日本書紀】(もののべのおおむらじあらかい, もおほむらじあらか)物部大連麁鹿火
キーワード
  • 後裔は和泉国高岳首(たかおかのおびと)【新撰姓氏録 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 武烈天皇8年12月21日)
没年月日
宣化天皇元年7月
  • 物部麻佐良もののべのまさら【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
  • 妹古いもこ出典にある系譜からは断言できないが、当サイトでは麁鹿火の母と判断。【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
先祖
  1. 物部麻佐良
    1. 物部木蓮子
      1. 物部布都久留
      2. 太姫
    2. 黒媛
  2. 妹古
    1. 須羽直
  • 影媛かげひめ【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】【母:不明】
  • 物部石弓若子もののべのいわゆみのわくご【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:不明】
  • 物部毛等若子もののべのもとのわくご【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:不明】
子孫
  1. 影媛
  2. 物部石弓若子
  3. 物部毛等若子
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大連おおむらじ【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】
出来事
  • 武烈天皇8年12月21日

    大伴金村大連が議って言うには「まさに今、後嗣は絶えてしまった。天下は何れに心を繋げようか。古より今に至るまで、禍はこれによって起る。いま足仲彦天皇仲哀天皇の五世孫の倭彦王丹波国(たにわのくに)桑田郡(くわたのこおり)にいらっしゃる。試しに武器を用意して御輿を挟み守ってお迎えして、人主(きみ)としてお立ち頂こう」と。
    大臣・大連らは、皆これに従い、計画どおりに迎えようとした。

    倭彦王は迎えの兵を遠くに見ると、懼然として色を失った。
    そして山谷に逃げて行方知れずとなった。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇即位前紀 武烈天皇八年十二月壬子条】
  • 継体天皇元年1月4日

    大伴金村大連が更に議って言うには「男大迹王後の継体天皇。は性格が慈悲深く、孝に順っていらっしゃる。皇位を継承するにふさわしい。慇懃にお勧めして帝業を栄えさせよう」と。
    物部麁鹿火大連・許勢男人大臣ら皆が言うには「子孫を詳しく選んでみると、賢者はただ男大迹王のみである」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月甲子条】
  • 継体天皇元年1月6日

    男大迹天皇を迎えるため、臣・連らに(しるし)を持たせ、御輿を備えて三国(みくに)に遣わす。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月丙寅条】
  • 継体天皇元年1月24日

    男大迹天皇樟葉宮(くすはのみや)に至る。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月甲申条】
  • 継体天皇元年2月4日

    大伴金村大連は跪いて天子の璽符(みしるし)の鏡・剣を献上して再拝した。
    男大迹天皇が辞退して言うには「民を子として国を治めるは重大な事である。私は不才で上に立つには不足である。願わくは思いを巡らせて賢者を選んでほしい。私では不適当である」と。
    大伴大連は地に伏して強く請願した。
    男大迹天皇は西に向って三度、南に向って二度譲った。
    大伴大連らが言うには「私たちが考えるには、大王が民を子として国を治めることが最適でございます。私たちは宗廟社稷の為に、計りごとを軽々しくは致しません。どうか皆の願いをお聞き入れください」と。
    男大迹天皇が言うには「大臣(おおおみ)大連(おおむらじ)将相(まえつきみ)・諸々の臣が私を推すのであれば、私も敢えて背くことはしない」と。
    そして璽符を受けた。


    この日、天皇に即位した。

    大伴金村大連大連許勢男人大臣大臣、物部麁鹿火大連を大連とすることは元の通りであり、これを以って大臣・大連らを各々職位のままに任じた。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年二月甲午条】
  • 継体天皇6年12月

    百済が使いを遣わして朝貢した。

    別に上表文を奉って任那国の上哆唎(おこしたり)下哆唎(あろしたり)娑陀(さだ)牟婁(むろ)の四県を要請した。
    哆唎国守(たりのくにのみこともち)穂積臣押山が奏上して「この四県は百済に連なり、日本とは遠く隔たっております。朝夕通いやすく、鶏も犬も分け難いほどでございます。いま百済に賜って合わせて同じ国とすれば、保全の策としてこれに過ぎるものはございません。しかし国を合わせても後世に危うさは残ります。まして境界を異とすれば何年ともたないでしょう」と。
    大伴大連金村は詳しくこの言葉を聞いて意見を同じくした。
    物部大連麁鹿火を勅使とした。

    物部大連は難波の館に行って、百済の使いに勅令を伝えようとするときに、その妻が強く言うには「住吉大神は海外の金銀の国、高麗・百済・新羅・任那などを胎中の誉田天皇応神天皇に授けました。それで大后気長足姫尊神功皇后と大臣武内宿禰が国毎に官家(みやけ)を置いて、海外の垣根としたのです。こうして久しく渡来するようになった由来があります。もし割いて賜わるようなことになれば、元の境界を違えてしまいます。後世の誹りを受けることになりましょう」と。
    大連が答えて「言っていることは理に適っているが、それでは勅に背くことになってしまう」と言った。
    その妻が強く諌めて「病気と申し上げてしまうのです」と言った。
    大連は諌めに従った。

    こうして勅使を改めた。
    賜物と併せて制旨を付けて、上表文に応じて任那の四県を賜った。

    大兄皇子後の安閑天皇。は先に事情があって国を賜うことに関わらず、後になって勅宣を知った。
    驚き悔いて改めさせようと令して「胎中の帝応神天皇の御世より官家を置いてきた国を軽々しく隣国の求めのままに容易く賜わってもよいのだろうか」と。
    日鷹吉士を遣わして、改めて百済の使いに宣べた。
    使者は答えて「父の天皇が便宜をお図りになられ、勅を賜わったことは既に終ったことでございます。子の皇子がどうして帝の勅を違えて妄りに改めて仰るのでしょうか。きっとこれは虚言でしょう。たとえこれが真実であっても、杖の大きい方で打つのと杖の小さい方で打つのとどちらが痛いでしょうか」と言うと退出した。

    ここに流言があって「大伴大連と哆唎国守の穂積臣押山は百済から賄賂を受けている」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇六年十二月条】
  • 継体天皇21年6月3日

    天皇大伴大連金村・物部大連麁鹿火・許勢大臣男人らに詔して「筑紫磐井が背いて西戎の地を我が物としている。誰を将とするのが良いか」と。
    大伴大連らが言うには「正直で仁・勇に勝れ、兵事に通じること麁鹿火の右に出る者はおりません」と。
    天皇は「ゆるす」と言った。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年六月甲午条】
  • 継体天皇21年8月1日

    天皇が詔して「大連よ。磐井が従おうとしない。お前が行って征伐せよ」と。
    物部麁鹿火大連が再拝して言うには「磐井は西戎の奸賊でございます。川の険しさをたよりにして仕え奉らず、山の険しさをたよりにして乱を起こしました。道徳に背き、侮り驕って自分を賢いと思っております。昔道臣より室屋に至るまで共に大伴氏の先祖だが、物部氏である麁鹿火の言葉としては不自然か。帝を助けて戦いました。民の難儀を救うことは、今も昔も変わりません。ただ天の助けを得ることは、私が常に重んじることでございます。よく慎んで討ちましょう」と。
    詔して「良将の軍は恩を施し、恵を推し、己を慮って人を治める。攻めること河を割くが如し、戦うこと風の発つが如し」と。
    重ねて詔して「大将は民の命を預かる。社稷の存亡はここにある。努めよ。慎んで天罰を与えよ」と。
    天皇は自ら斧鉞(まさかり)を取り、大連に授けて言うには「長門より東は朕が制する。筑紫より西はお前が制せよ。賞罰は思うままに行ってよい。一々奏上することはない」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年八月辛卯朔条】
  • 継体天皇22年11月11日

    大将軍物部大連麁鹿火は賊の首領磐井と筑紫の御井郡(みいのこおり)で交戦した。
    旗鼓は向き合い、埃塵入り乱れ、機を両陣の間に定めて万死の地を譲らなかった。

    遂に磐井を斬って境を定めた。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十二年十一月甲子条】
  • 継体天皇25年2月7日

    継体天皇が譲位して安閑天皇が即位する。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇即位前紀 継体天皇二十五年二月丁未条】
  • 継体天皇25年2月

    大連となることは元のとおりであった。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇即位前紀 継体天皇二十五年二月是月条】
    • (継体天皇25年2月7日 ~ 安閑天皇2年12月17日)

      安閑天皇の御世に大連となる。

      【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
  • 安閑天皇2年12月17日安閑記では乙卯年三月十三日。

    安閑天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇二年十二月己丑条】
  • 安閑天皇2年12月(17日 ~ 30日)

    宣化天皇が即位する。

    【日本書紀 巻第十八 宣化天皇即位前紀 安閑天皇二年十二月条】
  • 宣化天皇元年2月1日

    大連となることは元のとおりであった。

    【日本書紀 巻第十八 宣化天皇元年二月壬申朔条】
  • 宣化天皇元年5月1日

    宣化天皇から新家(にいのみ)の屯倉の籾を筑紫国に運ぶよう命じられる。

    【日本書紀 巻第十八 宣化天皇元年五月辛丑朔条】
  • 宣化天皇元年7月

    薨じる。

    【日本書紀 巻第十八 宣化天皇元年七月条】
関連
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