名前
  • 氏(ウジ):穗積【日本書紀】(ほづ)穂積
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:押山【日本書紀】(おしやま)
  • 委意斯移麻岐彌【日本書紀】(やまとのおしやまきみ)委意斯移麻岐弥
生年月日
( ~ 継体天皇6年4月6日)
没年月日
(継体天皇23年3月1日 ~ )
出来事
  • 継体天皇6年4月6日

    継体天皇の命令で百済に筑紫国の馬四十匹を贈る。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇六年四月丙寅条】
  • 継体天皇6年12月

    百済が使いを遣わして朝貢した。

    別に上表文を奉って任那国の上哆唎(おこしたり)下哆唎(あろしたり)娑陀(さだ)牟婁(むろ)の四県を要請した。
    哆唎国守(たりのくにのみこともち)の穂積臣押山が奏上して「この四県は百済に連なり、日本とは遠く隔たっております。朝夕通いやすく、鶏も犬も分け難いほどでございます。いま百済に賜って合わせて同じ国とすれば、保全の策としてこれに過ぎるものはございません。しかし国を合わせても後世に危うさは残ります。まして境界を異とすれば何年ともたないでしょう」と。
    大伴大連金村は詳しくこの言葉を聞いて意見を同じくした。
    物部大連麁鹿火を勅使とした。

    物部大連は難波の館に行って、百済の使いに勅令を伝えようとするときに、その妻が強く言うには「住吉大神は海外の金銀の国、高麗・百済・新羅・任那などを胎中の誉田天皇応神天皇に授けました。それで大后気長足姫尊神功皇后と大臣武内宿禰が国毎に官家(みやけ)を置いて、海外の垣根としたのです。こうして久しく渡来するようになった由来があります。もし割いて賜わるようなことになれば、元の境界を違えてしまいます。後世の誹りを受けることになりましょう」と。
    大連が答えて「言っていることは理に適っているが、それでは勅に背くことになってしまう」と言った。
    その妻が強く諌めて「病気と申し上げてしまうのです」と言った。
    大連は諌めに従った。

    こうして勅使を改めた。
    賜物と併せて制旨を付けて、上表文に応じて任那の四県を賜った。

    大兄皇子後の安閑天皇。は先に事情があって国を賜うことに関わらず、後になって勅宣を知った。
    驚き悔いて改めさせようと令して「胎中の帝応神天皇の御世より官家を置いてきた国を軽々しく隣国の求めのままに容易く賜わってもよいのだろうか」と。
    日鷹吉士を遣わして、改めて百済の使いに宣べた。
    使者は答えて「父の天皇が便宜をお図りになられ、勅を賜わったことは既に終ったことでございます。子の皇子がどうして帝の勅を違えて妄りに改めて仰るのでしょうか。きっとこれは虚言でしょう。たとえこれが真実であっても、杖の大きい方で打つのと杖の小さい方で打つのとどちらが痛いでしょうか」と言うと退出した。

    ここに流言があって「大伴大連と哆唎国守の穂積臣押山は百済から賄賂を受けている」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇六年十二月条】
  • 継体天皇7年6月

    百済が姐弥文貴将軍・州利即爾将軍を遣わして、穂積臣押山に副えて、五経博士段楊爾を献上した。

    別に奏上して「伴跛国(はへのくに)が我が国の己汶(こもん)の地を略奪しました。伏して願わくは、天恩によって本属に還付して頂きたいと存じます」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇七年六月条】
  • 継体天皇23年3月

    百済王下哆唎国守(あるしたりのくにのみこともち)の穂積押山臣に言うには「朝貢の使者が岬を出るときに、いつも風波に苦しみます。それで貢物を濡らしてしまい、損壊してしまうのです。どうか加羅(から)多沙津(たさつ)を私の朝貢する海路として頂けないでしょうか」と。
    押山臣はこの願いを聞いて奏上した。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年三月条】