来目皇子

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名前
  • 來目皇子【日本書紀】(く)来目皇子
  • 久米王【古事記,上宮聖徳法王帝説】(く
  • 來目王【新撰姓氏録抄】(く)来目王
キーワード
  • 後裔は左京登美真人(とみのまひと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 推古天皇10年2月1日)
没年月日
推古天皇11年2月4日
  • 用明天皇ようめいてんのう【日本書紀 巻第二十一 用明天皇元年正月壬子朔条】
  • 穴穂部間人皇女あなほべのはしひとのひめみこ【日本書紀 巻第二十一 用明天皇元年正月壬子朔条】
先祖
  1. 用明天皇
    1. 欽明天皇
      1. 継体天皇
      2. 手白香皇女
    2. 堅塩媛
      1. 蘇我稲目
      2. unknown
  2. 穴穂部間人皇女
    1. 欽明天皇
      1. 継体天皇
      2. 手白香皇女
    2. 小姉君
      1. 蘇我稲目
      2. unknown
配偶者
  • 由波利王ゆはりのみこ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】
  • 比里古女郎ひりこのいらつめ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】
  • 男王おとこのみこ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】【母:由波利王ゆはりのみこ
  • 星河女王ほしかわのひめみこ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】【母:由波利王ゆはりのみこ
  • 佐富王さとみのみこ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】【母:由波利王ゆはりのみこ
  • 高椅王たかはしのみこ【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】【母:比里古女郎ひりこのいらつめ
出来事
  • 用明天皇の皇子として生まれる。母は穴穂部間人皇女

    【日本書紀 巻第二十一 用明天皇元年正月壬子朔条】
  • 久米王は他田宮治天下大王の女子、名は由波利王を娶り、生まれた児は
    男王
    星河女王
    佐富王
    三王である。

    また食菩支々弥女郎の弟比里古女郎を娶り、生まれた児は
    高椅王である。

    【聖徳太子平氏伝雑勘文 下三 大宮太子御子孫并妃等事 上宮記下巻注云】
  • 推古天皇10年2月1日

    推古天皇から撃新羅将軍を任命される。
    諸々の神部及び国造・伴造ら、併せて兵二万五千人を授かる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十年二月己酉朔条】
  • 推古天皇10年4月1日

    筑紫に到着して島郡(しまのこおり)に駐屯する。
    船舶を集めて軍糧を運ぶ。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十年四月戊申朔条】
  • ( ~ 推古天皇10年6月3日)

    病に臥す。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十年六月己酉条】
  • 推古天皇11年2月4日

    筑紫で薨じる。

    天皇はこれを聞いて大いに驚き、皇太子蘇我大臣を召して言うには「征新羅大将軍来目皇子が薨じた。大事に臨んだが遂げることは出来なかった。甚だ悲しいことである」と。
    そして周芳(すおう)国の娑婆(さば)に殯した。土師連猪手を遣わして殯の事を司らせた。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年二月丙子条】
  • (推古天皇11年2月4日 ~ )

    河内の埴生山岡上(はにゅうのやまのおかのえ)に葬られる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年二月丙子条】