干食王后

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名前
  • 干食王后【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘】(かしわでのきさき, かしはできさき)
  • 菩岐々美郞女写本「菩岐々𫟈郞」(𫟈は美の異体字)と「兒㫪米女王女」(㫪は舂の異体字)の間が失われている。「生」を異筆追記してあるが「女生」が正しいか。【上宮聖徳法王帝説】(ほいらつ)菩岐々美郎女
  • 菩支々彌女郞【聖徳太子平氏伝雑勘文】(ほいらつ)菩支々弥女郎
  • 膳大刀自【上宮聖徳法王帝説】(かしわでのおおとじ, かしはでおほじ)
  • 膳夫人【上宮聖徳法王帝説】(かしわでのおおとじ, かしはでおほじ)
  • 食菩支々彌女郞【聖徳太子平氏伝雑勘文】(かしわでのほききみのいらつめ, かしはでいらつ)食菩支々弥女郎
性別
女性
没年月日
推古天皇30年2月21日
先祖
  1. 膳部加多夫古
  2. unknown
配偶者
  • 上宮法皇かみつみやののりのみこ聖徳太子しょうとくたいし【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘, 上宮聖徳法王帝説】
  • 舂米女王つきしねのひめみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 長谷王はつせのみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 久波太女王くはたのひめみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 波止利女王はとりのひめみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 三枝王さきくさのみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 伊止志古王いとしこのみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 麻呂古王まろこのみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
  • 馬屋古女王うまやこのひめみこ【上宮聖徳法王帝説】【父:聖徳太子しょうとくたいし
出来事
  • 法興崇峻天皇四年を元年とする年号。元丗一年、辛巳年十二月推古天皇29年12月。鬼前太后が崩じた。
    明くる年の正月廿二日推古天皇30年1月22日。上宮法皇が病に枕した。
    干食王后も看病に労して倒れてしまった。
    時に王后・王子たち及び諸臣は深く愁毒を懐き、共に発願して「仰いで三寳に依り、まさに王身の寸法の釈像を造るべきである。この願力を蒙り、病を転じて寿を延べ、世間に安住しますように。もしこれが定業にして世に背くのであれば、浄土に登り、早く妙果に昇りますように」と。

    【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘】
  • 推古天皇30年2月21日

    即世する。

    【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘】
    • 歌に証して曰く、

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      膳夫人が臥病して、まさに没する時に水を乞うたのである。

      しかし聖王は許さず、遂に夫人は卒した。
      聖王(しのびごと)知恩院本は「誅」とするが「誄」に改めた。してこの歌を詠んだ。即ちその証である。

  • 推古天皇30年2月22日

    上宮法皇が登遐する。

    【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘】