名前
  • 氏(ウジ):土師【日本書紀】(はじ)
  • 氏(ウジ):土師娑婆【日本書紀】(はじさば)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:猪手【日本書紀】(いて, ゐて)猪手
生年月日
( ~ 推古天皇11年2月4日)
没年月日
皇極天皇2年11月1日
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大仁だいにん「大仁土師娑婆連」とあり、猪手であると思われるが確証は無い。【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇二年十一月丙子朔条】
出来事
  • 推古天皇11年2月4日

    来目皇子が筑紫で薨じた。

    天皇はこれを聞いて大いに驚き、皇太子蘇我大臣を召して言うには「征新羅大将軍来目皇子が薨じた。大事に臨んだが遂げることは出来なかった。甚だ悲しいことである」と。
    そして周芳(すおう)国の娑婆(さば)に殯した。土師連猪手を遣わして殯の事を司らせた。
    それで猪手連の孫を娑婆連(さばのむらじ)というのは是の縁からである。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年二月丙子条】
  • 皇極天皇2年9月17日

    皇極天皇の命令で吉備島皇祖母命皇極天皇の母で吉備姫王。の喪礼を執り行う。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇二年九月癸巳条】
  • 皇極天皇2年11月1日

    蘇我臣入鹿小徳巨勢徳太臣大仁土師娑婆連土師娑婆連猪手と思われるが確証は無い。を遣わして山背大兄王たちを斑鳩(いかるが)で襲わせた。

    奴の三成と数十人の舎人が出陣して防ぎ戦った。
    土師娑婆連は矢に当って死に、兵士は恐れて退いた。
    軍中の人は「一人当千とは三成をいうか」と語り合った。

    【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇二年十一月丙子朔条】